第39回 興南と沖縄尚学の完全2強だが、中部商や美里工も台頭(沖縄)2017年01月22日

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【目次】
[1]三段跳びで力をつけてきた沖縄の高校野球
[2]甲子園上位の常連となっていった沖縄
[3]指導者たちの取り組み

 現在は、高校野球の中でも強豪県の一つとして挙げられる沖縄県勢。しかし、歴史的には沖縄の高校野球は戦後の近代日本史の一部でもある。戦後、日本の領地ではなかったということは避けようのない事実でもあるのだ。そして、1972(昭和47)年に沖縄県として正式に復帰するまでの歴史と、その後という意味では、高校野球の視点からでも大きく様変わりする。

三段跳びで力をつけてきた沖縄の高校野球

興南

 本土復帰前までの歴史の途中では68年に、記念大会の1県1校の沖縄代表・興南が快進撃をする。一つ勝つ度に甲子園の大きな拍手や声援も味方につけながら、あれよあれよと勝ち進んでベスト4にまで進出した。さすがに準決勝では優勝した興國に力尽きる形で大敗してしまったが、この「興南旋風」は本土復帰への強烈なアピールとなった。

 同時に、実はその後へつながっていく強い沖縄へのプロローグでもあったのだろう。だから、ある意味では沖縄の高校野球の本当の意味でのスタートはこの第50回大会からということもいえるのではないだろうか。それまではどうしても遠来の地から来たゲストというような印象があったのはぬぐえない。そして、本当の意味で全国の強豪校と対等になったのは、やはり本土復帰後の昭和50年代に入ってからだ。

 沖縄の高校野球の最初の一歩、つまりホップが63年夏日大山形と未勝利地区対決となった首里の初勝利だ。そしてステップが興南のベスト4だった。さらに、大きくジャンプしたのが豊見城の登場ということになる。いうならば、歴史的な三段跳びで沖縄の高校野球は徐々に力をつけていったのである。

 本当の意味で沖縄の野球の力が全国で評価されてきたのは、栽 弘義監督が豊見城で指導するようになってからだといっていいだろう。75年春には赤嶺 賢勇投手を擁してベスト8。続いて76年77年夏には連続でベスト8。石嶺 和彦(阪急・オリックス→阪神)などプロで活躍する選手も多く登場するようになってきた。洗練された試合運びと、強烈なバットスイングや機敏な野手の動きなどは、明らかに新しい沖縄の野球、強くてソツのない沖縄の野球の原形でもあった。

 その沖縄の選手たちの逞しさも光った。天性の素質のよさを持つ選手が技を備えただけではなく、徹底した練習量によって鍛え上げられていったという印象だった。それに、自然の中で育ってきた選手たちが、好きな野球を本当に素直に楽しむというスタイルがうまく融合した。

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沖縄尚学 【高校別データ】
沖縄水産 【高校別データ】
興南 【高校別データ】
豊見城 【高校別データ】

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