独立からプロへ!安河内駿介(武蔵ヒートベアーズ)が歩んだ波乱万丈の野球人生!
大学時代の故障により、一度は諦めたプロへの道。その後も様々な困難に見舞われながらも、独立リーグを経てNPB入りを目指す安河内 駿介投手(武蔵ヒートベアーズ)。その波乱万丈な野球人生を技術面と共に語ってもらった。
一度は戦列を離れる
笑顔を見せる安河内駿介
秀岳館高(熊本)時代は体の使い方を常に意識していたという安河内投手。「歩く時もダラダラと歩くのではなくて、真っすぐ足を強く踏み出して歩く。そうすると自然とお腹の内側に力が入って良い歩き方になり、前方で足を上手く捌ける感じになるんです。ダッシュをする時もスタートはかなり意識をしていました。自分は右投げなので必ず左足を前にしてやや横向きに構え、スタートと同時に右足を出して上体を半回転させ前方を向いて走る。この時の体のひねりや動きが投球動作に似ているので、とにかくキレを出してスタートをするように心掛けていました。」
そのほかにも体の仕組みについて解説している書物を読むなど研究熱心で、自分でいろいろと考えながら工夫して練習していたこともあり、3年生の頃には「監督がなぜこの練習をさせるのか、その意図が分かるようになっていました」という。
こうした努力もあり、高校時は体重61kgの細身ながら最速で145キロをマークするまでに至ったのだが甲子園出場は叶わず。プロ志望届も提出することなく大学へ進むこととなった。
東京国際大へ進学し、2年秋にはエースとして東京新大学リーグで4勝を挙げた安河内投手だったが、右ヒジを故障。「右腕を少しでも上げようとすると痛みが走る状態でした」と1年以上の長期離脱を余儀なくされ、4年春を迎える頃には遂に戦列への復帰を断念。野球道具もすべて譲り渡してしまった。
そして、就職活動も終え、野球を諦めていた安河内投手に救いの手を差し伸べたのは、ある整骨院だったという。「福井県に山内整骨院という有名な整骨院があって、ここで治療してもらった選手が毎年のようにプロになっているんです。自分も高校時代に股関節と肩のバランスを矯正してもらい、そのおかげもあって球速が一気に上がったのですが、そこの先生に『一度、顔を見せに来いよ』と言われて、訪問したんです。
そして、治療をしてもらったら、それまで満足に動かすこともできなかった右腕が上がるようになったんです」。長年の痛みはまだ残ってはいたが、3日後には軽くボールを投げることもでき、気持ちは復帰へと傾いていった。「自分の就職活動は3日ほどであっさり終わっていたこともあって、『仕事に就くのは、もう少し後でもできる』と思ったんです。」
こうして11月頃にトレーニングを再開。最初は「自宅の押入れに布団を立てて、そこに向かって投げていました」という状態から、ネットスロー、キャッチボールと徐々に投げる距離を伸ばしていき、卒業後は大学時代のマネージャーの伝手があった世田谷学園高で高校生の指導にあたりながら、体作りに励んだ。
[page_break:武蔵ヒートベアーズで掴んだキッカケ]武蔵ヒートベアーズで掴んだキッカケ
安河内駿介
また、ピッチング・メカニクス(フォーム)も改善。
「以前はテイクバックの時に右腕が一塁側へ出ていて、そのためにトップの位置も頭から離れ、アーム式に近い投げ方をしていました。それを今は真っすぐ後ろへ引いて、そのまま真っすぐ前方へ投げるようにしています。このフォームを身に付けるために、ネットスローをする時は一度、こめかみの辺りにボールを付けてから投げるようにし、意識しなくてもできるようになるまで続けました。こうやってフォームを変えたことでケガを未然に防げるようになりましたし、さらにしっかりとボールに力を伝えられるようになっていると感じています。」
ただ、この時期は経済的に苦しい時でもあった。
「当時はお金がなかったので、納豆と卵だけで10日間くらい過ごしたり、ブラジル人の友人からフェジョアーダというブラジル料理を分けてもらって凌いだりしていました。あの時の友人の支えがなかったら、心が折れていたかもしれないですね。」
そんな苦労のなか、1年後には本格的な復帰を念頭に、社会人野球のクラブチームに入団するため就職したが、すぐに退社。「野球をするために就職したはずだったのに定められた勤務時間が練習時間に合わず、参加できない状況だったのですぐに辞めました。当時はストレスがひどくて体重が8kg減りましたし、髪の毛もたくさん抜けました。」
その後はびわこ成蹊大に世話になり、昨秋にはNPB球団のプロテストを受けたが不合格。「結果は悪くなかったのですが、球速は144キロ止まりでしたし、何よりも当時はチームに在籍していなかったので試合勘がなく、ブランクが長かったのも獲得を避けられた理由だと思います。」
インタビューに答える安河内駿介
そこで、所属球団を得るために独立リーグを目指した安河内投手はBCリーグのトライアウトを受けると、昨年11月には埼玉県熊谷市を拠点とする武蔵ヒートベアーズからドラフト1巡目の指名を受けて入団。ようやく飛躍へのきっかけを掴んだのだった。
「年齢(今年度で25歳)もありますし、ラストチャンスのつもりで挑んだ」という今季は中継ぎでスタートすると、シーズン中盤まで防御率0点台の好成績でクローザーに昇格。その圧倒的なピッチングを支えたのは今年6月に自己最速となる151キロを記録したストレートだ。
本人は「いまや150キロは当たり前の時代になっているので、球速よりも速く見えるスピンがかかった真っすぐを目指しています」と話しているが、その契機となったのは今オフのこと。
「年明けすぐに今永(昇太、DeNA)投手と一緒に練習をする機会があったのですが、キャッチボールからものすごく意識が高くて、軽く投げているのに伸びているように見えるキレイな球を投げていたんです。それで自分もマネをして、キャッチボールから低くて強いボールを投げるように意識を変えました。イメージとしてはリリースの時にしっかりボールを指にかけて投げるようにしています。」
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安河内駿介
こうしてストレートは威力を増していくことになり、「ボールの下側をバットが通っていて、理想的な空振りが取れました。シーズン序盤は本当にストレートとカーブだけで打者を打ち取れるくらいでした。」
だが、暑さとともにペースダウン。「8月に公式戦で投げる経験がほとんどなかったので体調管理が上手くできず、調子を落としてしまいました。でも、大学時代の投手コーチだった浅野(啓司)さんに『水風呂に入って体内にたまった熱を冷やすのがいい』と教わって、それからは状態も良くなっていきました。」
復調した安河内投手はシーズンの最終戦で150キロを記録。また、変化球も精度が上がった。
「スライダーを投げる時は基本的にストレートと同じ投げ方にして、握りだけを変えれば、あとは自然に曲がっていくという感覚。シーズンの最後の最後で同じ腕の振りで投げられるようになったので、ボール球でも打者はストレートだと思って振ってくれました。スプリットもやっと落ちるようになって、試合で使えるようになっています。」
こうして今季は38試合で38イニングを投げて42奪三振。1勝6セーブと無傷のままシーズンを終了した。「NPBへ行くためにはBCリーグで圧倒しなければいけないと思っていたので納得できていない部分もありますが、1シーズンを通じて打者と対戦することができて良い経験ができたと思います。」
プロ野球選手について「幼い頃はお金持ちになりたくてプロ野球選手になりたかった。でも、野球をやっている間に考えが変わって、今は野球が上手くなりたい。良い球を投げて抑えたいと純粋に思っています。お金がすべてだと思っていたら、今、独立リーグで野球なんてしていないですよね」と話す安河内投手。
「NPBへ入ることに現実味が帯びてきて、やってきたことは間違っていなかったと感じています。自分の実力はまだまだですがもっと球速は上がるし、変化球も良くなると思っているので、自分を信じて練習を積み重ねてこれからも成長していきたいです。」
時にビッグマウスな発言で注目を集める安河内投手だが、ある意味、プロ選手らしいキャラクターとも言え、野球に懸ける思いは一途。逆境を乗り越え、ドラフト候補まで這い上がった苦労人のドラマの続きをNPBの舞台で見てみたいと思うファンも少なくないだろう。
文=大平明
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