遠軽vsいわき海星
試合中の一つのプレー・瞬間のジャッジで大きく結果が変わってくるのが野球である。
今大会、松倉雄太が試合を決定づける「勝負の瞬間」を検証する。
もっと見ていたかった21世紀枠対決
史上初の21世紀枠対決となった第1試合は、わずか1時間16分の超スピードゲーム。攻守交代に時間を要さず、キビキビとした姿に、10000人の観衆は拍手を送った。
打撃のチームである遠軽、甲子園練習で快音を響かせるなどバットが振れている印象がつよかったいわき海星。両チームともある程度は得点できるだろうと予測していたのだが、甲子園では中々そうはいかない。
遠軽・前田知輝(3年)、いわき海星・鈴木悠太(3年)の両エースがそれぞれ持ち味を発揮し、スコアボードには5回まで0が並んだ。共に1安打ずつの投手戦。ただしいわき海星が1回、遠軽が2回出した走者はいずれも得点圏まで進み、投手を攻略するための布石は打たれていた。つまり完璧なる投手戦と言いきるまでにはいかなかったと言えるだろう。
ゲームは折り返して後半戦。
6回裏、このイニング先頭の9番山下璃皇(2年)がセンターへのヒットで出塁する。遠軽にとって先頭打者の出塁はこれが初めて。ここでいわき海星にバッテリーエラー(記録はパスボール)が出て、山下は労せずに二塁へ。そして続く1番鴨野崇希(3年)が送って一死三塁となった。
打席は2番遠藤和貴(2年)。すでに1点勝負の展開になりつつあっただけに、『スクイズの探り合い』も予想できたが、遠藤は強行策。だが4球を打ち返した球は、ピッチャー前へボテボテのゴロ。三塁走者の山下は、「少し出過ぎてしまった」とやや焦りながら帰塁しようとする。この動きを察したピッチャーの鈴木は迷うことなく三塁へ送球。山下はタッチアウトになった。
この場面。攻める遠軽サイドは、『ゴロGO』を考えても良い所であり、打球がボテボテでやや不運だったかもしれない。ただそれ以上に凄かったのが走者を殺した鈴木の判断。キャッチャーの作山歩(3年)は、相棒である鈴木の性格を話してくれた。
「普段(の鈴木)はおっちょこちょいな所もあるのですが、試合のなるとガラッと変わって、自分からやる選手。迷いはなかったと思います」。
場面は二死一塁と変わり、先頭打者を出した遠軽にとっては攻めが苦しくなったように思える鈴木の迷いなきプレーは見事だと言える。
しかし、勝負の瞬間(とき)はまだここからだった。
二死一塁で打席に立った遠軽3番の荒谷偉吹(3年)は、前の打席で三塁打を放っている。次の4番柳橋倖輝はこのゲームではまだ無安打。いわき海星バッテリーにとっては、3アウト目をどう取るか試案のしどころでもあった。
結局、荒谷はボールが先行したこともあり四球で一、二塁と場面が進む。そして4番の柳橋。1ボールからの2球目、バッテリーが「失投」と感じた甘い球を遠軽の主将は見逃さなかった。打球はセンターの頭上を越える。走者が全て生還し、外野からの返球が乱れる間に打った柳橋もホームベースを踏む(記録は三塁打と送球エラー)ことができた。ガッツポーズを見せずに淡々とした姿でベンチへと向かった柳橋。大きな、大きな先取点が遠軽に入り、これが決勝点となった。
勝負の瞬間で、結果的には失点をしてしまったいわき海星陣営。だが、「少し失投でしたが、良い球だった。打ったバッターが凄かったと思います」とキャッチャーの作山は柳橋の一打を讃える。
選手を見守っていた若林亨監督は一球の重みを感じながらも、「甲子園は素晴らしい場所」と大きな体験をできたこと強調していた。
福島県に帰ると、4月からはエースの鈴木など主力の数選手が約2ヵ月間の遠洋航海実習に出発するそうだ。全員揃って練習をする時間は少ないが、この場所でしか味わえない経験は、実習や授業の場でも必ず生きてくると信じる。
勝負ゆえに結果ははっきりと出てしまうのだが、もっと長くこの戦いを見ていたいと感じられた好ゲーム。これだけのゲームは全国の球児にとっても大きな教材となるはずである。
(文=松倉雄太)