憧れは母国の英雄・ゲレーロ。ダビッド(大阪偕星学園)の夢は「日本のプロ野球からメジャー」
ダビッド バティスタ モレノ(大阪偕星学園)
ドミニカ共和国からの留学生選手として注目を集めた大阪偕星学園のダビット バティスタ モレノ。強打の外野手として馴らし、最上級生では主将も務めた。卒業後はプロ入りを目指すダビットのこれまでについて迫る。
数多くのメジャーリーガーを輩出し、2013年のWBCを制しているドミニカ共和国。野球が盛んな国で育ったダビットは8歳から野球を始めた。
当時、憧れていた選手はブラディミール・ゲレーロ。メジャー通算449本塁打を放ち、ドミニカ共和国出身の野手として史上初めて、アメリカ野球殿堂入りを果たしたレジェンドだ。今シーズン、エンゼルスの大谷 翔平と熾烈な本塁打王争いを繰り広げたブラディミール・ゲレーロJr. (ブルージェイズ)の父親としても知られている。
ゲレーロのような長距離打者を目指していたが、日本に来るまでは今のような立派な体格ではなく、線の細い選手だったという。
ドミニカ共和国では有望な野球少年はMLB球団のアカデミーなどにスカウトされるが、ダビッドはそこまでの選手ではなかった。そんな中で、日本に留学するという話があり、「野球と勉強を頑張ろうと思いました」と2018年11月に来日。翌年6月に大阪偕星学園に入学した。
「今は慣れました」と話すダビッドだが、来日当初は日本での生活に苦労した。言葉もわからず、母国に帰りたいと思うこともあったそうだが、「お母さんとかお父さんと携帯電話で話して、ちょっと長いけど、高校野球頑張ってと言われました」と電話で両親に励まされたことで辞めずに続けることができた。
日本語は友人が話した言葉をスペイン語に翻訳するアプリを駆使して少しずつ覚えていった。半年ほどで普通に会話ができるようになり、今では日本人と同じように取材対応ができるようになっている。
言葉が通じるようになったことで日本の文化にも順応した。好きな日本食は唐揚げとラーメンで、好きな日本語は「ありがとう」だという。
野球の面では変化球を多投する日本の投手への対応に苦戦した。指導者のアドバイスもあり、「最初はノーステップで後ろに(体を)残して、変化球にタイミングを2回とっていました」と対応力を徐々に身に付けていった。
ダビッド バティスタ モレノ(大阪偕星学園)
最上級生になると、前監督から主将に任命される。「ちょっとビックリしました」とダビット自身も驚きを隠せなかった。それでも懸命に選手とコミュニケーションをとろうと努力したことで、「もっと日本語が上手くなりました」とプラスになったことも多かったようだ。
最後の夏は三国丘に4対14の6回コールドで敗れて初戦敗退。ダビッドはソロ本塁打を放つ活躍を見せたが、チームを勝利に導くことはできなかった。
「悔しかったですね。1回戦負けは」と最後は不本意な結果に終わったが、「指導者が日本の野球の色んなことを教えてくれました。最初はタイミングが合っていなかったけど、日本のピッチャーの打ち方を教えてくれました」と成長を感じた2年半だった。
「最初の1年はちょっと長かったですね。2年になってからは早かった」と日本での留学生活を振り返るダビッド。「日本でチャンスがあったから、頑張りたい」と幼い頃からの夢を叶えるためにプロ志望届を提出した。
ドミニカ共和国ではずっと木製バットで練習していたこともあり、バットの移行には苦労していない。フリー打撃では慣れたバット捌きで豪快な打球を連発していた。これから日本のハイレベルな投手との対戦経験を積んで、対応力をさらに上げていければ、とんでもない打者になりそうだ。
「日本のプロ野球に行って、メジャーリーガーを目指したいと思います」と卒業後の野球人生を思い描いている。刻一刻と迫っているドラフト会議に向けては、「ちょっと緊張してます」。率直な気持ちを打ち明けてくれた。
ドミニカ共和国からの留学生という日本の高校野球界に新たな風を吹き込んだダビッド。彼がどんな野球人生を歩んでいくのか注目していきたい。
(記事=馬場 遼)