「やらない後悔より、やった方がいい」、上原浩治氏の「雑草魂」を支えた「野球の楽しさ」
7月7日からテレビ東京ほか・人気アプリゲーム「八月のシンデレラナイン」原案の完全オリジナルドラマ「八月は夜のバッティングセンターで。」が絶賛放映中だ。このドラマでは1話ごとに、NPB、MLBで活躍したレジェンドが登場する。高校野球ドットコムでは、そんなレジェンドの生き様、野球観に、とことん迫った記事をお届けする。ぜひ読者の皆様には放送前にレジェンドの考えを知っていただきたい。
ドラマ最終回は上原 浩治さんが登場する。巨人1年目に20勝を挙げ、NPBでは通算112勝をマーク。MLBでは13年にレッドソックスの世界一に貢献するなど、通算95セーブ、81ホールドをマークした。そして18年に巨人に復帰し、19年に現役引退を表明。現在は野球評論家として活躍する上原さんに高校時代、国際大会の意義について語っていただいた。
「八月は夜のバッティングセンターで。」は、TVer、paraviなどで配信中。
野球ができるという幸せ
上原浩治氏 ©「八月は夜のバッティングセンターで。」製作委員会
ーー 当時から野球部だけではなく、スポーツも盛んな東海大仰星に進学しましたが、どういうきっかけからでしょうか
上原 浩治氏(以下、上原) 自宅から近い高校で野球にも力をいれているので。
ーー 最初は外野手ということでしたが、甲子園に行きたい、どんなポジションでもいいからメンバーに入りたい気持ちでプレーをされていたのでしょうか
上原 最高学年になった新人戦は外野で試合に出ていました。3年生から控え投手としてメンバーに入りました。「甲子園に行く!行きたい!」というよりは、どちらかというと「みんな甲子園に連れていってくれ!」と思ってました。
ーー 最終学年に投手でしたが、同期にNPB、MLBで活躍した建山 義紀さんがいました。建山さんの存在は刺激になりましたでしょうか
上原 刺激というよりエースは建山だったので、甲子園に連れていって!と思っていました。
ーー 上原さんが人生を振り返って、浪人時代があったからこそ、成長できたと思うこと。その後の人生に生きたことはありますでしょうか
上原 やはり浪人した1年間は野球もできず、ほんとこの先の人生はどうなるんだろうと不安しかなかったです。だからこそ野球ができるという幸せを感じるようになりました。
ーー 大体大入学後は「プロ」というものを明確にして、練習に取り組んでいたのでしょうか
上原 日本代表に選ばれた時くらいから意識するようになりました。もともと入学した時は学校の先生になろうと思って大学に入ったので。
[page_break:プレッシャーを感じながら野球をする難しさ]プレッシャーを感じながら野球をする難しさ
上原浩治氏 ©「八月は夜のバッティングセンターで。」製作委員会
ーー 大学3年にインターコンチネンタル杯で、キューバ相手に好投されました。抑えた時の喜びや、自信になったことを教えてください
上原 当時151連勝中のキューバに勝つことができたので、すごく嬉しかったです。
ーー 「国際大会」は高校球児、もしくは学生プレーヤーにとってはなかなか馴染みがない大会です。国際大会、日本代表を目指すメリットは大いにありますでしょうか
上原 日本代表は国を背負って戦うので、ものすごく良い経験になります。もちろんメリットはあると思います。
ーー 上原さんは04年のアテネ五輪、08年の北京五輪を経験されています。当時のプレッシャーはいかがなものでしたか
上原 先ほども書きましたが、国を背負って戦うので、自分の成績よりも勝つことが大切なので、すごくプレッシャーはあります。
ーー 五輪での経験がその後の野球人生に生きたことはありますでしょうか
上原 プレッシャーを感じながら野球をする難しさを勉強できたかなと思います。
ーー 世界で活躍する選手も年々増えてきていますが、今の中学や高校球児たちに、世界で活躍できるような選手になるために、こんなことを今頑張ろうといったメッセージやアドバイスがあれば是非おしえてください
上原 野球は明るく楽しく取り組んでほしい。ただ、練習は嘘をつかないので、やるならとことん練習してほしいです。やらない後悔より、やった方が良い。後悔の無いようにがんばってほしいと思います。
(記事=河嶋 宗一)
「八月は夜のバッティングセンターで。」は、TVer、paraviなどで配信中。