目次

[1]村田監督の厳しい指導に反発することもあった
[2]村田監督がいなければ今の自分はない

村田監督がいなければ今の自分はない



森田球斗©Kanagawa Future Dreams

 卒業後、徳島インディゴソックスに練習生として入団した後、本契約となり、19年には独立リーグ日本一を経験。20年から神奈川へ移籍。その際に、鈴木尚典監督、荒波翔コーチと横浜の大先輩とともに村田監督に激励を行った。

 移籍1年目はBCリーグ優勝を経験し、今年はチームで日本人トップとなる7本塁打をマークし、恵まれた素質の高さを開花させている。

 高校を卒業して4年半が経ち、社会人としての常識を身につき、改めて村田監督に感謝の思いと凄さを実感している。
「村田監督がいなければ、社会人としての一般常識を身につけることなく、卒業していたんだなと思いますし、道を踏み外していたのでは?と思っています。僕たちの後輩たちが頑張って県ベスト8にいきましたが、僕たちのスタート時からすれば、想像できないことで本当に凄いことです」

 0からスタートだった公立校を一から育てて、県内上位まで育てることと、低迷気味だった名門を再建するのは別ベクトルの大変さがあるだろう。名門の監督に就任するのは相応の覚悟がなければその役割は担うことはできない。

 

 それでも森田は大人になって村田監督の根気強さ、人情深さを実感している。迷惑をかけた申し訳なさも感じている。
 だからこそ、横浜を再建できると強く信じていた。

 森田は野球人生の最後をかけてプレーをしている。
「今は自分に指導してくれている鈴木監督のためにも、監督から15本打てといわれていますので、それを達成できるよう頑張っていきたいです」
と意気込んだ。

 白山時代の教え子の話を聞いて、村田監督は横浜を緻密さだけではなく、芯が強い骨太なチームに育てるのではないか。そう感じさせるエピソードだった。

(記事=河嶋 宗一

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