8年ぶりの近畿大会優勝を果たした智辯学園。その投手陣の柱としてチームを牽引したのが138キロ左腕・西村 王雅だ。京都シニア時代から注目を浴び、1年夏にして甲子園のマウンドを踏んだ西村のこれまでの経緯に迫っていく。

1年生で全国のレベルの高さを知ることができた


 京都宇治市出身の西村。父・基治さんは平安高校(現・龍谷大平安)1990年夏の甲子園で2勝を挙げた左腕投手として活躍した。その父に憧れ、京都シニアから本格的に投手転向。中学1年の時は118キロぐらいだったがランメニューを中心に行い、気づいたら中学3年には最速138キロをマーク。

 智辯学園に進むきっかけとして西村は「智辯学園のユニフォームがきっかけです。あのカッコいいユニフォームをきて甲子園のマウンドに立ちたいと思いました」と入学を決意する。

 そして西村の出番はすぐに訪れる。1年春からベンチ入りし、そして近畿大会の智辯和歌山戦で中継ぎとして好投を見せ、勝利に貢献した。
「1年春からベンチ入りするとは全く思っていなくて、あの試合は気持ちでは負けないと思って投げて。うまく力が抜けて投げられたと思います」

 智辯和歌山戦の好投で評価を高め、大事な場面でも登板し、夏でも甲子園出場に貢献する力投。そして甲子園でも登板を経験した。

 夏の奈良大会、甲子園を終えて西村は「初めて全国のレベルを知ることができて、気持ち、コントロールにブレがありましたので、コントロールを良くするために修正を行いました。また、エラーが出てもいかに落ち着いて投球に切り替えることができるかと考えて投げていきました」と制球力、精神面を課題において日々の練習、投球に取り組んだ。

 秋の近畿大会では4強入りしたが、西村の中では満足行く出来ではなかった。そして冬の練習、自粛期間中でもテーマを掲げ、個人練習に取り組んできた。

 そして夏の大会では3年生中心だったため、登板がなく、久しぶりの登板は甲子園だった。