目次

[1]常勝軍団でプレーしながらも都立小山台を選択したわけ<
[2]毎日が試合だと思って集中したことが実を結んだ


 近年では2年連続で夏の東東京大会で準優勝に輝いている都立小山台。2014年の選抜で都立高初の21世紀枠に選出されたことが記憶に新しい方も多いはずだ。

 その時、マウンドに立ち、強敵相手に堂々たる投球を見せていた伊藤 優輔は社会人まで進み、野球を継続。ドラフト候補にまで成長し、2020年は遂にドラフト解禁。勝負の1年を迎えていた。

常勝軍団でプレーしながらも都立小山台を選択したわけ


 伊藤投手に話を聞くべく、横浜市金沢区の三菱パワー野球部のグラウンドに行くと、伊藤の姿はそこにあった。取材当日はグラウンドで時折笑顔を見せながらも、ブルペンに入ると一転して真剣な眼差しで力強いボールを投げ込んでいた。その姿には迫力すら感じられた。

 幼いころから野球好きの父の影響で、東京ドームに足を運び、読売ジャイアンツの試合を生で見ることが多かった伊藤。小学3年生になると本格的に野球を始め、4年生からピッチャーとして投げるようになっていた。

 中学校へ進学すると、ピッチャーとしての実力を伸ばす。3年生の時点でストレートの最速は130キロ中盤を計測。さらにカーブやスライダー、そしてスプリットといった多彩な変化球も投げられる本格派投手にまで成長した。

 当時のことについて伊藤は、「とにかく速いボールを投げたい。自分が抑えて勝ちたい」という気持ちそのままに打者を封じ込めていき、中学の部活動と並行して所属していたクラブチーム・荒川ウェーブでは都大会優勝を経験。さらにKボールでは関東大会まで進むなど多くの経験を積んだ。

 「中学の時は楽しくやれていましたが、特に3年生の時はチームが強く、1年間で負けたのも2、3回程度。ですので、自信を持って野球をすることができていました」

 常勝軍団のエースとして活躍しただけあって、強豪私学への進学も考えられるところ。だが、選択したのは都立小山台だった。
 「当時候補になっていたのは都立城東でした。甲子園に出場した実績もありましたし、自宅からも近かったです。都立と言えば城東みたいなところもありましたが、塾か学校の先生に選択肢としてあげてもらったんです。それで城東と比べれば学力は上だったので、進学を決めました」