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第1017回 悔しい思い断ち切り 「みんなで」甲子園を獲る 木村優介(広島新庄)2019年07月17日

【目次】
[1]「ジャイアンツカップ」で全国知り、名将にあこがれ広島新庄へ
[2]長打の秘訣は「乗せて・運ぶ」
センバツ出場の広陵と夏のシード権も獲得した市立呉。春の県大会Vの広島商を筆頭に如水館・崇徳・広に沼田・広島井口・尾道商と並んだシード校をはじめ、今年も群雄割拠で迎える「第101回全国高等学校野球選手権広島大会」。これに対し、前回大会準優勝で4年ぶりの夏甲子園を見据える広島新庄の「4番・捕手」を務めるのが、1年夏からベンチ入りを続ける木村 優介(3年)だ。
先日行われた広島県高等学校野球連盟招待試合でも大阪桐蔭(大阪)相手に大アーチを放つなど、ここまで積み上げた高校通算本塁打は40本近く。強打の大型捕手として鳴らす彼が今、想うこととは?球歴・打撃・捕手論含め様々な角度から聴いていく。
「ジャイアンツカップ」で全国知り、名将にあこがれ広島新庄へ

木村優介(広島新庄)
―― まず木村捕手が野球をはじめたのはいつですか?
木村優介(以下、木村) きっかけは幼稚園のころ、父とのキャッチボールからです。そこで野球が好きになって広島市立牛田2年の時、「牛田子供会ソフトボール」でソフトボールをはじめました。
―― 当時のポジションは?
木村 「身体が大きい」ということで捕手。そこからずっと捕手です。
―― 広島市立牛田中では硬式野球チームの「広島ボーイズ ジャガーズ」へ入団します。
木村 小学校3年の時から古葉 竹識さん(元:広島東洋カープ監督など)の弟さんだった古葉 福生監督(今年2月逝去)に声をかけて頂いたのと、体験練習を通じて「中学では硬式野球をやりたい」と思って入団しました。
小学校時代はソフトボールだったので最初はリードオフと距離に苦労しましたが、タイミングを取ることでアジャストしていきました。逆に硬式ボールはソフトボールより軽いので、よく飛びましたね。中学3年では4番を打たせてもらいました。
―― 中学時代、全国大会の経験はありますか
木村 全国大会は4回。そのうち2年生の時は「ジャイアンツカップ」ベスト8です。この時は、準々決勝で宮崎リトルシニアに延長サヨナラ負けでした。

ノックを受ける木村優介(広島新庄)
―― その「ジャイアンツカップ」などで全国レベルなど感じ取れたことはありましたか?
木村 「体つきの違い」です。僕自身も身長は大きかったんですが、筋肉の付き方や太ももの大きさとかが違いました。ただ、中学2年生の「ジャイアンツカップ」でその違いが解ったことで、筋力トレーニングにも取り組むことができましたし、90キロで重たすぎた体重を82~83キロに落とすことができました。ただ、減量した最初は打球が飛ばなくなったので(笑)、今はそこも気を付けています。
―― そして高校を選択する時期になりました。
木村 最初は広島県外の高校も選択肢に入れていたんですが、最終的には「現役時代に捕手をされていた広島新庄の迫田(守昭)監督の下でいろいろ教わりたい」と思いましたし、「広島県で甲子園に行きたい、プロ野球選手を輩出しているチームでやりたい」ということで広島新庄への進学を決めたんです。
―― 広島新庄では1年夏の広島大会からベンチ入り、1年秋からは主力となりました。
木村 入学最初当初は何もわからず先輩方に教えてもらいながらでした。先輩たちは打球の伸び」が違う。タイミングの取り方も苦労した覚えがあります。
1年秋から試合には出ていましたが、ここでも先輩たちに頼るばかり。だからこそ気楽に打てた部分もあると思います。最上級生からは4番も任せてもらってプレッシャーもありますが、ここには応えないといけないと思っています。