- トップ
- インタビュー
- 2019年インタビュー
- 伸びのある快速球のルーツは中学2年秋。変化球の重要性を感じた甲子園 篠木健太郎(木更津総合)【前編】
第960回 伸びのある快速球のルーツは中学2年秋。変化球の重要性を感じた甲子園 篠木健太郎(木更津総合)【前編】2019年06月19日

【目次】
[1]エースに登りつめたストレートの改良
[2]初めての甲子園はただただ緊張した
今年の高校2年生はスラッガーが多いが、投手でトップクラスの実力を誇るのが木更津総合の篠木 健太郎だ。177センチ68キロと細身の体型から投げ込む速球は最速146キロを誇る。そのストレートは球速表示以上にキレを感じるが、そのストレートを生み出すのは、上半身と下半身の動きが連動した投球フォームは「美しい」と形容できる。篠木と公式戦で対戦した打者は口を揃えて、「速球、変化球も素晴らしく、今まで対戦した投手の中でもトップクラスでした」と語る。
1年夏に甲子園デビューし、今年の関東大会では超強力な東海大相模打線に対し、7回まで被安打3、1失点の好投。8回裏に安打を浴び、降板したが、がっぷり四つの投球を見せ、さらに評価を高めた。2016年から続く千葉4連覇を目指し、キーマンとして期待される篠木はどんな野球人生を歩んできたのか?
エースに登りつめたストレートの改良

篠木健太郎(木更津総合)
群馬県出身の篠木が野球に初めて出会ったのは幼稚園の時だ。
「父はサッカーをやっていたんですが、そんな父と小学3年生まで一緒に遊びでやっていたんです」
ボールを追いかけるのに楽しさを感じていた篠木は小学3年生の春休みに、地元にあった明和ジュニアヒーローズに入団。本格的に野球を始め、当時はピッチャーだけではなくサードやショートを兼任していた篠木は意外なことを告白してくれた。
「正直、投手は嫌いだったんです。元々コントロールが悪くて、試合を壊してしまうこともあったんです。なので、内野を守っているときの方が楽しかったです」
その後、明和中学校に進学した篠木は小学校の先輩がいたこと、そして練習環境に惹かれて館林ボーイズ(硬式)に入団する。
館林ボーイズでは週3、4日の練習をこなしていく日々。篠木は中学時代もピッチャーを続けたが、下級生までは、同じ学年の中では3番手投手の位置付けで、外野手がメインとしての活躍が続いた。

これが篠木健太郎の「ストレートの握りだ!
転機となったのは中学2年生の秋。篠木はある決断をした。
「自分の中でストレートと変化球を天秤にかけて、どちらを先に極めるか考えた結果、ストレートを磨こうと決めたんです」
「当時、自分の体は周りに比べると小さかったので、指2本で普通にリリースしていても勝てないと思ったんです。だから親指も使ってボールに回転をかけて、ボールのキレを上げました」
篠木のストレートの握りは少し独特だ。
人差し指と中指の第一関節をしっかり縫い目にかけつつ、ボールと指の隙間をなくしてがっちり握る。そしてリリースの時に、ボールをつぶすようなイメージでリリースするようにした。こうすることで親指と人差し指、そして中指の3本の指でボールに回転をかける。その結果、ボールのキレや伸びといった質が向上した。
進化したストレートに加えて、カーブやスライダーがある程度ストライクゾーンに収まるようになった篠木。これらの成長があり、3番手投手から最後の夏はエースにまで上り詰めた。