目次

[1]パワーで劣っていると感じた時期はなかった
[2]高1の秋に得た至高のイメージ
[3]逆方向への本塁打が増えた背景

 今年度のドラフト上位指名候補と目される履正社安田 尚憲選手。高校通算65本塁打を記録した超高校級スラッガーに「ホームラン」のインタビューテーマをぶつけるべく、大阪府茨木市に位置する履正社高校野球部グラウンドを訪ねると、188センチ95キロのボディを誇る、ビッグな18歳が柔らかい笑顔とともに出迎えてくれた。

「『ホームランを打とう!』という特集に掲載するインタビューなんですね。わかりました。今日はよろしくお願いします!」

パワーで劣っていると感じた時期はなかった

安田尚憲(履正社)

――小1で野球人生をスタートさせた安田選手。記念すべき人生初ホームランはいつ生まれたのですか?

安田尚憲選手(以下、安田):小5の時ですね。センターオーバーのランニングホームランでした。

――少年野球時代に放った本塁打数は覚えていますか?

安田:10本くらいです。軟式だった小学生時代はフェンスがないグラウンドで試合をするケースが大半だったので、全部ランニングホームランでした。チームの中では遠くへ飛ばせる方だったとは思います。

――生来、右利きの安田選手が左で打つようになったのはいつですか?

安田:野球を始めて間もない小1の時です。PL学園でプレーしていた12歳上の兄(亮太さん)に「左打ちにせんか?」と勧められて。後に知ったのですが、「今は左打ちが多いけど、おまえが大きくなったころにはきっと右打ちが多い時代が来るはず。ならば左打ちにしたほうが有利」というのが勧めた理由だったそうです。

――お兄さんは時代の波を読んだわけですね。

安田:読んだつもりだったみたいです。でも結局は今も左打ちは多いままで。当初の兄の狙いからすれば、完全に読み違えてるんですけどね(笑)。

――吹田市立豊津中では元阪神タイガースの赤星憲広氏がオーナーを務める硬式野球チーム「レッドスターベースボールクラブ」に所属。中学3年間で放った本塁打は何本だったのですか?

安田:シニアやボーイズといった組織に属さないチームだったので、実戦は練習試合が大半でした。学年の中では打っていた方だと思いますけど、それでも3年間で5本くらいです。

――身体は小、中学時代から大きかったのですか?

安田:学年の中では常に大きかったです。小学校を卒業する時に既に178センチ、80キロありましたから。

――そんなに大きかったんですか!

安田:今思うと、やばかったですね。中学を卒業する時点で185センチ、90キロくらいでした。

――常に大きかったということは、パワーにも常に恵まれていた?

安田:パワーで劣っていると感じた経験はなかったです。きちんととらえればボールは飛んでいったので、ミートの精度やタイミングを合わせる能力を向上させることができれば、ホームランが出る確率も高まるのかな、という思いが常々ありました。

――レッドスターベースボールクラブ時代、バッティング面で授かった印象的なアドバイスはありますか?

安田:中学時代、指導者からは「今はとにかく強く振って引っ張れ!」と言われ続けました。なので、ちょこんとレフト前へ運んでも怒られましたね。「そんなヒットいらん。それなら大きな外野フライの方がましだ」と。だから、前の肩が早く開こうが、気にせず、強く引っ張ることだけを考え続けました。後に当時の監督から聞いたのですが、細かいフォーム上のことは高校に入ってから向き合えばいい、という方針だったようです。中学時代は強く振れる土台を築くことに重きをおいた指導が徹底されていましたね。