目次
[1]群雄割拠となった沖縄県高校野球
[2]二強を形成。興南高校と沖縄尚学高校/沖縄高校野球の強さの秘密

 1999年、選抜高等学校野球大会で沖縄尚学高校が初優勝。その後、2008年に沖縄尚学高校が二度目のV。その僅か2年後の2010年、興南高校が史上6校目となる甲子園春夏連覇を達成。「沖縄の高校は強い」と、全国に知らしめた。

 改めて沖縄の高校野球が、どのように強さを増していったのか。県民悲願だった甲子園での優勝。
 一方で2015年以降、甲子園で勝てなくなった理由など。高校の先生たちの意見も載せつつ、沖縄県高校野球史を振り返ってみたいと思う。

これまでの連載
野球後進県だった沖縄はいかにして強豪県に成長したのか?
「沖縄強し」を印象づけた語り継がれるベストゲーム
沖縄で着実に受け継がれる甲子園のDNA

群雄割拠となった沖縄県高校野球


 盛根監督、神山監督に続いた奥濱監督の誕生によって、沖縄の高校野球図は「群雄割拠」となっていく。

 中部商高校で高校野球初監督ながら2002年と04年の夏、決勝で沖縄水産高校を破り甲子園に出場させた上原忠監督(現沖縄水産高校監督)は、糸満高校でも九州地区高校野球大会準優勝。さらに2011年と2015年の二度、甲子園の地を踏んだ。

 2006年に初めて離島八重山から、春夏甲子園出場を果たした伊志嶺吉盛監督。学童軟式野球大会の頂点である全日本学童軟式野球大会マクドナルドトーナメントで、八島マリンズを2001年に日本一に導き、「高校生だけでなく、沖縄県の学童っ子でも全国で勝てる!」と意識づけた。

 2008年、悲願の甲子園出場を決めたばかりでなく、初の甲子園采配にも関わらず、興南高校、沖縄水産高校、浦添商高校(盛根監督)、沖縄尚学高校、宜野座高校に次ぐ県勢ベスト4進出を果たした神谷嘉宗監督(現美里工高校監督)は、2013年の九州地区高校野球大会では準優勝し、翌年の選抜高等学校野球大会にも出場した。

 2009年、九州地区高校野球大会で優勝し、翌年選抜高等学校野球大会に出場した眞玉橋元博監督は次のように語る。

 「あの時の九州大会はバッテリーが秀逸で。そうすると野手が何点とれば勝てるなと思っちゃうんですね。そしてラッキーなことに、当時沖縄には左に島袋 洋奨がいる。練習試合含め、1点も取ったことはないです。右はというと宮國 椋丞(巨人)。サイドハンドに同じ糸満高校の金城がいた。沖縄で全国レベルの左・右・横を見ている。選手たちに基準が出来ていた。だから情報は無いけど、九州大会で点を奪うことが出来た。その優勝だと思う。」

 今年だと興南高校の宮城 大弥がそうなる。沖縄尚学高校メンバーにとって、ずっと壁となっていた宮城。だが宮城を打ち崩しての甲子園出場が、「あの宮城を見て打ってきたのだから、どんな投手が来ても大丈夫。」と惜しくも敗れたが、甲子園で初めて見る投手でも平常心を保ち、習志野高校から4点を奪うことが出来た。

 2012年、浦添商高校を率いて初甲子園でベスト16入りした宮良高雅監督(現支援学校に勤務)と、2016年、嘉手納高校を二度目の甲子園へ導いた大蔵宗元監督は、2007年以降の13年間で四天王以外の高校の監督として、聖地を踏んだ。このように多くの県立高校の監督さんが、甲子園の土を踏むようになっており、さしずめ群雄割拠となっているのが現在の沖縄県高校野球界だ。