メンバー決めは投票制! 西村 慎太郎監督(西日本短大付属)vol.1
「うちのチームはメンバー決めが投票なんですね。1番から9番まで2点で、10番から20番までが1点で一人一人が監督になったつもりで毎年投票するんです」
西村 慎太郎監督(西日本短大附属)のこの言葉は強烈な印象が残った。
まず始めに思ったのが、「なんと大変なことを子供に託したのか」。そして次に頭に浮かんだのは「その真意を知りたい」である。
今回は、西村監督が採用した、「投票制メンバー決め」について深く掘り下げたい。
メンバーの投票制を取り入れようと思ったのはいつ?
西村 慎太郎監督
西村監督がメンバーの投票制を考えた背景には2つの「気付き」がある。
1つ目の「気付き」は、西日本短大附属が1992年に浜崎 満重前監督の下、全国大会優勝を成し遂げた後の選手たちの行動にある。
浜崎は新日鉄堺で監督を勤めた後に、西日本短大附属の監督に就任。社会人野球のレベルの高い野球を高校野球に持ってきた指導者である。 西村監督もまた、浜崎の指導を受けた選手の1人だ。西日本短大附属は、1992年の全国制覇以降なかなか[stadium]甲子園[/stadium]に出れずにいた。
西村は、当時を振り返りこのように回想している。
「非常に素晴らしい指導者がいる。すごい監督がいるから選手が頼りすぎて伸びないのではないか? 自分たちのときは(浜崎)監督に負けたくない!認められたいから、監督の求めるレベルまで早く行くぞ!という雰囲気があった。優勝した後は、監督の言うことさえ聞いてるから大丈夫となっている」
自分たちで考えずに、偉大な指導者に依存しすぎている選手達に西村は違和感を感じていた。
「いつのまにか監督に依存してしまって、生徒たちが伸びる方向でなく、監督に乗っかってるだけに見えたんですよ。選手に能力がどんなにあっても、そういう風になっては伸びないと思いました」
[page_break:普段の生活態度は必ず野球にも出る]普段の生活態度は必ず野球にも出る
西日本短大付属のグラウンド
そして、もう一つの「気付き」が寮で経験である。
西村監督は西日本短大附属で17年監督をしている。その以前はコーチをし、コーチ時代から選手とともに寮生活をしている。当時の寮生活で一つの気付きがあった。
「いい選手たくさんいるんですけども、公式戦で結果出ないんですよ。なんでかなと思うと、すごく寮生活のあり方とか、野球やってる時と、日常生活が全く違う子が多いんですよ。監督の前では良い顔をする。だけど公式戦になると日頃抜いてますから、力に変わったりする、そういう選手をたくさん見てきました。やっぱり監督に好かれたいでやってるレベルじゃだめなんです」
どうしても、裏表が出来てしまう。そうすると野球のプレー中に表の顔でなく、裏の顔が出てきたりと大事な場面で本来の力が出ないことがある。西村監督は、そのような二面性を排除して、野球以外の日常生活を正すことで、野球でも状況が変わろうと心が乱れない選手につながると考えた。
この2つの「気付き」から、西村監督が導き出したのが、メンバー決めの投票制である。
「自分が最初監督になった時、これじゃあ選手伸びないなと思って投票制に変えたんですね。 17年前です」
こうして「選手が自分で考えて動ける」ために、そして「日常生活からの改善」のためにメンバー決めの投票制は始まったのである。
選手は監督以外に360度気をつける
投票制の意図を語った西村監督
「子供達は大変ですよ。なぜかというと僕(監督)に好かれたいって簡単ですよね。1人に胡麻すればいいんですから。でもチーム全員に認められるって、一人じゃないですよね。二人以上です。それは生き方をもっとあげないといけないですよね。誰からもこいつちゃんと頑張ってるなと思われないといけないわけですから。だからそっちの方が難しいです」
この言葉にすべてが詰まっている。選手たちは投票制になったことで、監督だけでなく周りの選手にも、納得して投票されるだけの選手にならないといけないのである。他の選手と触れ合う場所は、グランドだけではない。授業中であったり、寮のなかであったり。その全ての行動から変える必要がある。
これこそが、西村監督が選手に望んでいる、日頃の生活からの鍛錬なのだろう。更にその先には、将来選手たちが高校を卒業した後、社会で羽ばたけるための人間力の育成に繋がっているのである。
vol.1はここまで。vol.2では「人を怖がらない」ことと、コミュニケーションの関係を軸に、西村監督にお話を伺います。次回もお楽しみに!
文=田中 実