目次

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沖縄県勢の努力による発展

[3]指導者の努力と新勢力

戦後の沖縄県の高校野球の歴史


 現在は、高校野球の中でも強豪県の一つとして挙げられる沖縄県勢。全国制覇の実績としても1999(平成11)年春の沖縄尚学をはじめとして2008(平成20)年春に再び沖縄尚学
 さらに2年後の10年には興南が春夏連続優勝を果たしている。これだけを見ても、ことにここ20年では全国でも有数の強豪県と言えよう。

 しかし、歴史的には沖縄の高校野球は戦後の近代日本史の一部でもあるという見方もある。戦後、日本の領地ではなかったということは避けようのない事実だ。そして、1972(昭和47)年に沖縄県として正式に復帰するまでの歴史と、その後という意味では、高校野球の視点からでも大きく様変わりする。

 本土復帰前までの歴史の途中では68年に、記念大会の1県1校の沖縄代表・興南が快進撃をする。一つ勝つ度に甲子園の大きな拍手や声援も味方につけながら、あれよあれよと勝ち進んでベスト4にまで進出した。
 さすがに準決勝では優勝した興國に力尽きる形で大敗してしまったが、実はこれが、その後へつながっていく強い沖縄へのプロローグでもあったのだろう。

 それまではどうしても遠来の地から来たゲストというような印象があったのはぬぐえない。そして、本当の意味で全国の強豪校と対等になったのは、やはり本土復帰後の昭和50年代に入ってからだ。

 沖縄の高校野球の最初の一歩、つまりホップが63年夏に日大山形と未勝利地区対決となった首里の初勝利だ。そしてステップが興南のベスト4だった。さらに、大きくジャンプしたのが豊見城の登場ということになる。いうならば、歴史的な三段跳びで沖縄の高校野球は徐々に力を着けていったのである。