目次

【目次】
[1]投手として活躍した世界の王貞治と親子鷹で話題をさらった原辰徳
[2]ラッキーゾーンと敬遠が松井秀喜をスターへ押し上げた
[3]イチローの高い向上心は高校時代から

ラッキーゾーンと敬遠が松井秀喜をスターへ押し上げた


当時はサードを守っていた松井秀喜(写真=手束仁)

 王、原と名選手が高校野球界を賑わせたが、同じく高校野球界を沸かせて巨人でスター選手として活躍した選手といえば、ゴジラこと松井 秀喜を忘れてはならない。

 

 そんな松井は1990年に石川の星稜に入学。当時からそのバッティングが注目され、1年生ながら4番に座る。この年の星稜は甲子園出場を果たすものの、1回戦で姿を消すこととなる。だが翌年の91年夏の甲子園に出場してベスト4進出。全国でも結果を残しつつあった。

 そんな松井が世間から怪物と注目を浴び始めたのが、最後の1年となった1992年のことであった。
 この春の甲子園から外野にあったラッキーゾーンが撤廃されたことを受け、ホームラン数は減るのではないか、と目されていた。そんな推測が飛び交う中、大会初日の宮古との初戦に登場した松井は、2打席連続ホームランを放って観衆の度肝を抜いた。

 その後も活躍を続けた松井は大会タイ記録の7打点をマークし、ベスト8進出に大きく貢献。その怪物ぶりを世間に知らしめ、最後の夏が注目されていた。

 だが最後の夏、松井を待ち受けていたのは今もなお語り継がれる5打席連続敬遠だった。

 明徳義塾の名将・馬渕史郎が、松井の高い実力を警戒し、徹底マーク。それが5打席連続での敬遠に繋がった。
 この問題は高等学校野球連盟が緊急で記者会見を開くほどの大きな問題に発展したが、裏を返せば松井という男の実力の高さが際立ったとも捉えることができる。

 ラッキーゾーンの撤廃後の第1号ホームラン、そして5打席連続。松井は高校最後の1年、人々の記憶に残るプレーを見せ、巨人にドラフト1位入団を果たした。

 その後は記憶にも新しいワールドシリーズMVP、国民栄誉賞受賞など日本野球界が誇る名選手と成長していった。その原点にはラッキーゾーンと敬遠があったと言っても過言ではない。