兵庫県は甲子園のお膝元でありながら、全国でも有数の激戦区として数えられる。毎年厳しい戦いが繰り広げられる渦中で、毎年中心になって熱戦を繰り広げるのは神戸国際大付だ。
春夏合わせて8度の甲子園出場。直近の2021年の夏の甲子園はベスト8入り。全国でも結果を残す強豪である。今では全国区の学校の1つに位置するようなチームまで導いたのは、指揮官・青木尚龍監督の指導の成果と言ってもいいだろう。
自分は何も変わっていない
前身の八代学院で高校時代を過ごしたOB監督。コーチ時代を含めて30年以上、平成という時代を指導者として駆け抜け、数多くの教え子を育ててきた。
現在もグラウンドに立ち、選手たちへ指導する青木監督。いまも続く指導者生活を、このように振り返る。
「25歳の時に指導者人生が始まったと思いますが、最初の10年くらいはどこか憧れの気持ちがあったと言いますか、小中学生の時にテレビで見たような甲子園に出るチームには『勝てないだろうな』というところから始めていたと思います。
当時、神戸国際大付は甲子園出場実績がなくて、まだあまり知られていませんでした。しかし『最近強いよね』という声が聞こえるようになってから変わってきました。『どうすれば勝てるんだろう』と思うようになってきました」
そうすると、「あのチームはこんな練習をやっている」ということを聞けば、参考にしてみるなど、「その時はがむしゃらに」と話すように、当時は毎日が必死だった。
「若い時は、負けた後1週間くらいは『くそー、たまらんわ』っていうことがあると思いますけど、それすら考えている時間がありませんでした。現在ほどスタッフがおらず、自分が動かないと仕方なかったので、選手には厳しい指導をしてしまうこともありました。
今も公式戦、練習試合で思った通りに行かずに『くそ』とか『おもしろない』とかバスの中で思いながら帰ることがありますけど、1日経てば『こうしたらええよな』と新しいものをつけて、気持ちが変わっていくようになりました」
ゆえに青木監督は長い指導者人生に対して、「25歳の時から変わっているつもりはないので、まだ何とも言えないです」と話す。
「周りが変わっていっただけで、自分は何も変わっていないと思っています。もちろん、色んなことに対応しないといけないと思っていますが、こうでないとダメだというものは持っています」