三島南vs星陵
序盤からの点の取り合いは、継投で中盤を締めた三島南が逃げ切り
リリーフして、ストレートは常時130km大を出していた三島南・前田君
高校野球の「セイリョウ」というと、多くの人は石川県の星稜を思い浮かべるであろう。その星稜に似たようなユニフォームでもある静岡の「セイリョウ」だ。ただ、こちらは「リョウ」の字は石川星稜のノギへんではなくコザトへんで星陵である。
かつての自動車工で現在は静岡北との系列校でもある。母体となっている学校法人静岡理工科大は袋井市にキャンパスがある。系列には、静岡北とは他に、専門学校も何校か抱えている
星陵は元々1974(昭和49)年に学校法人金指学園が設置したが、その後に母体が静岡自動車学園、さらに1990(平成2)年に現法人名となっている。そして2001(平成13)年に高大一貫校としての提携を打ち出したという経緯がある。
従って、星陵としての校名は比較的県内では定着していると言えよう。現在は英数科と普通科があり、さらにその中でいくつかのコースに分かれている。野球部としては1991年ドラフトで斉藤肇投手が大洋にドラフト4位で指名されている。斉藤投手は大洋・横浜を通じて9年間プロに在籍している。その後は、台湾の球界に進んで、日立製作所でも活躍した。
一方、三島南は一昨年に前身の三島町立三島商時代から数えて創立100年を経た伝統校である。1921(大正10)年に創部している野球部は、今年で創部100年を迎えたことになる。過去夏はベスト4進出が4度、ベスト8は7度という実績がある。この夏は、初戦で静岡学園に競り勝ち、清水西、焼津中央を下して4回戦まで進出して静岡に敗れた。
「創部100年に、何とかベスト16で、秋も地区上位で県大会進出を果たして弾みをつけたかった」
という稲木恵介監督。歴史のある学校だけに地元からの期待も高いが、その期待に十分に応えた、東部地区3位校としての県大会進出を果たした。
星陵・折尾駿君
試合は、序盤から取って取られての展開で、いつどこで落ち着くのかという感じだった。
初回にまず三島南が3番前田君の左中間二塁打で先制する。しかしその裏、星陵も一死二三塁で4番市川君が中前打で同点。さらに続く鷲田君が右前へ2点タイムリー打を放ち3点。2回にも一三塁から重盗を仕掛けて二塁で刺される間に三走が帰り追加点を挙げた。
しかし三島南も追いかける。3回に一死後3連続四球でチャンスを貰うと4番小堂君が右前打して2者を帰す。なおも、伊藤君の犠飛で同点に追いつく。そして二死一塁から6番深瀬暖人君が中越二塁打して逆転に成功。それでも、星陵も4回、すぐにスクイズで追いつく。
こうした点の取り合いとなっていくと、どっちかがどこかで流れを変えていかないといけないのだが、その切っ掛けがないまま中盤に入っていく。5回に三島南は、小堂君が右越三塁打すると、深瀬暖人君が中前へ落として返して再びリード。こうして三島南が1点リードした。三島南1点リードで後半に突入していく。
5回終了の整備の期間に三島南の稲木監督は、「後半4イニングが勝負だから、ここからもう一度引き締めていこう」と選手たちに指示を出した。それが生きたか、7回、三島南は二死から連続四球で一二塁となったところで山田駿君が右越二塁打で2者を帰す。稲木監督も「あそこでよく打ってくれた」と評価した一打だった。さらに、暴投と一三塁からの重盗でもう1点追加して、これが効いて三島南が逃げ切る形となった。
「何とか3位で勝って県大会へ進みたかったので、その目標は果たせた。今年のチームは粒は小さいですけれども…、ウチはダークホースですから(苦笑)、東部地区の公立校として、何とか抵抗はしていきたい」と、稲木監督はこの日の戦いぶりにはある程度は満足していた様子だった。
(文=手束 仁)