日本文理vs北越
六回二死から見事な集中打!日本文理コールドで決勝進出!
雨の準々決勝から中1日。快晴とこの夏一番の暑さに見舞われた新潟は、炎天下の中、準決勝2試合を開催。
第一試合は、昨秋、今春といずれも準々決勝で苦杯をなめてきた北越が日本文理と対戦。過去2大会のリベンジに燃える北越だったが、試合は、日本文理の強力打線が爆発した。
日本文理の先発は、前の試合128球で完投勝利を収めたエースの飯塚悟史(3年)。
だが、中1日での先発による疲労と体感40度とも言える炎天下の中でのマウンドに、北越打線に立ち上がりを狙われる。
2番・栗山(3年)が三遊間をやぶり、四球で一死一、二塁のチャンスを作ると、4番・山﨑 嘉紀(3年)がライト前へ運び、北越が1点を先制。だが、一塁から一気に三塁を狙った一塁走者・国松(2年)が三塁でタッチアウトになり、この回1点どまり。
その裏、日本文理は北越先発・山﨑を攻め、二死一塁、三塁のチャンスから、5番・片岡(3年)がセンター前へタイムリーヒットを放ち、すかさず同点に追いつく。
リードを奪いたい北越は三回、先頭の国松がレフトオーバーのツーベースでチャンスを作るが、後続が倒れ、リードを奪えない。
日本文理・飯塚はテンポのいい投球でランナーを出すものの、各回3人ずつで片付ける。
一方、北越・山﨑のも二回、三回を三者凡退に抑え、四回、ピンチを招くものの、後続を打ち取り、0点に抑える。
膠着したまま迎えた、五回、日本文理は先頭の新井充(3年)がツーベースで出塁すると、続く9番・飯塚がレフト線をやぶり、1点を勝ち越す。
そして迎えた六回、疲れの見え始めた山﨑に日本文理打線が襲いかかる。
二死二塁から、8番新井がセンター前へタイムリーを放つと、続く飯塚が今度はライトオーバーのツーベース。
北越はたまらずタイムを取り、主将の箕輪(3年)が伝令に走るが流れは変わらず、続く1番・星兼太が四球で歩き、2番・黒䑓騎士(3年)から6番・5126(3年)まで4連続シングルヒット。
四球を挟んだ7連打で7点を上げ、山﨑をノックアウト。
大量援護をもらった飯塚は、七回の北越の攻撃を3人で抑え、七回、71球、1失点で完投。日本文理が9対1、七回コールドで決勝進出を決めた。
【野球部訪問:第127回 日本文理高等学校(新潟)】
エキサイティングプレイヤー 山﨑嘉紀(北越・3年・投手)
試合終了後、報道陣の前に姿を見せた山﨑は、顔面をタオルで覆い、歩くのもままならないほど泣きはらしていた。
高野連の担当に肩を抱きかかえられて促され、テレビカメラの前に立ったものの、インタビュー開始までしばらく時間を要した。溢れ出る涙を止めることはできなかった。
遡ること、10カ月前。
日本文理に相対した山﨑は、初回に味方が奪った1点を守り、日本文理のスコアボードに0を並べた。
180cmという大型左腕ながら、スピードへの欲求を捨て、球の出どころの見えにくいフォームから、多彩な変化球を繰り出し、そして自慢の制球力で低めにコントロールする。
日本文理打線から凡打の山を築いた投球術。だが、九回、同点の長打を打たれると、最後は自らの押し出しでサヨナラ負けを喫した。
その後、日本文理が勢いに乗り、神宮大会(全国大会)準優勝まで勝ち進んだのは言うまでもない。
リベンジと意気込んだ春の大会では、先発の橋本(3年)が打ち込まれ、リリーフで登板した山﨑も日本文理打線の勢いを止められず、まさかのコールド負けを喫した。
夏の大会1カ月前、グラウンドの端で精力的に走りこむ山﨑の姿があった。
小島監督も「山﨑は何も言わなくても、自分で自分を追い込める子。体育祭の練習も免除してもらって、走り込んだりしている。疲れは出ていると思うけど、夏の大会を意識して最後の追い込みをやっているところです」と目を細めた。
その後、ブルペンに入った山﨑は、疲れを感じさせない抜群のコントロールで、さまざまな球種を低めに集めた。その制球力は正捕手の津野も「低めの構えたところに投げられる山﨑は本当にすごい」と舌を巻くほど。
「春は『日本文理へのリベンジ』ということに意識が行き過ぎて、自分たちの野球ができなかった。もう1度鍛え直して、1戦1戦しっかりと勝ち進んで行きたい。そうすれば必ずまた(日本文理と)対戦することになると思うので」という言葉の裏には、エースとしての並々ならぬ決意が感じられた。
そして迎えたこの試合。
ここまで3試合に登板し、全て完投。27イニングで自責点1と圧倒的な存在感を放っていた山﨑。
だが、4回戦から中2日、準々決勝から中1日での登板で蓄積した疲労と、40度に迫る炎天下は、山﨑の体力を奪っていった。
この試合、連打を浴び勝ち越しを許した五回あたりから、自慢の制球力がなりを潜め、ボールが高めに浮き出した。
そして迎えた六回、二死を奪ったあと、四球を挟んで7連打を許してしまう。4番でもある山﨑が投げない時は、一塁の守備に入り、国松がベンチに下がるのだが、次のイニングの先頭打者が1安打、1四球と、この試合飯塚に相性のいい国松からであったこと、二死を奪い、残り一死であったこと、そしてエース・山﨑への全幅の信頼が、投手交代のタイミングを難しくした。
連打を浴びても攻める投球をやめなかった山﨑の意地も見事だったが、ここぞの場面で連打を浴びせる日本文理打線もまた見事だった。
報道陣の取材が終わり、荷物を手にロッカールームから出てきた山﨑は、変わらず泣きはらしていた。
そんなエースに対し、誰よりも山﨑の努力を知っていたチームメイトからは労いの言葉をかけられ、保護者、さらには応援に来ていた生徒から惜しみない拍手が送られた。
日本文理への3度目のリベンジは、最後の夏も達成できず、山﨑の夏はベスト4で終わってしまった。
だがこの悔しさをバネに次のステージに進むだろう。帽子に書いた「気持ちで負けるな」の文字と、野球部の3年生49人の思いとともに。
(文=町井敬史)