大阪桐蔭vs門真西
王者に立ち向かった異色の左腕
試合終了後の拍手は門真西へと向けられていた。
2対6。
最終スコアは空いたが、王者に悠然と立ち向かった左腕がこの日の主役だった。
序盤に点を取られると嫌なムードになるので踏ん張っていこうと思っていた」。
門真西のエース・岩佐稜平―――。
1年夏の大会後に、入部してきたという異色の左腕である。
だが、その知名度は、敵将・大阪桐蔭の西谷浩一監督も知っていたと言うほどだから、ただものではない。
当然、迎え入れた方の門真西・西山均監督も気になる存在だったという。
「評判は知っていました。ただ、野球はやらないつもりでうちの学校に入ってきたとは聞いていました。一応、体験入部には来たんですけどね。その時も、『やる気はありません』見たいな態度でしたね。僕の方からは、一度、誘ったくらいで、あまり強くは誘いませんでした。というのも、その方がそのうち野球がやりたくなるだろうって思ったからです」
指揮官の狙いは当たる。夏を終えると、本当に入ってきたのだ。
その理由を、岩佐本人は、こう語る。
「2つ上に兄貴がいるのですが、僕が野球をやるきっかけになった人なんですけど、その兄の最後の大会を見に行って刺激を受けた。兄は外野から好返球で2度3度、刺していて、そんな姿を見て、また野球をやりたいと思ったんです」
入部すると、評判通りの投手だった。
左腕からのストレートがキレ、高めほど威力を増す。
本人は「得意じゃない」というが、チェンジアップやスライダーのキレ味も見事だった。
持っている才能をいかんなく発揮していた。
岩佐にとってプラスだったのは、門真西が奔放なスタイルのチームだったことだ。
彼本人もそうだが、髪はほとんどの選手が長めに伸ばしているし、高校野球特有の窮屈感はない。ピッチャーの投げ込みも、強制しないそうだ。
西山監督は言う。
「野手の練習は決めてやりますけど、ピッチャーに関しては言わないですね。特に、投げ込みは本人任せています。だから、うちでは投げ込みはしません。投げ込みは自分がやりたいと思ってやらないと効果がありませんから。彼らにとっての投げ込みと言えば、週1回の練習試合。一度、練習試合で9回投げて、岩佐がへろへろになったことがあるのですが、『それが投げ込みっていうんや。普通のチームはそれをやっている』という話をしたことがあります」
とはいえ、岩佐は奔放なだけではない。自分で考えるだけの余裕はある。
例えば、ピッチングでもリードする捕手を信頼しているが、やってはいけないピッチングは熟知している。
「僕の球は130キロ程度なので、アウトコースでは抑えられない。どれだけインコースに投げられるかだと思っていました」と大阪桐蔭対策を立てていたという。
試合は立ち上がりにエラー絡みの1点を先制されたが、その後、自身の適時打もあって、一時は逆転。しかし、3回裏に森友哉(2年)に同点の一発を浴びた。4回裏には、またも失策が絡みで逆転を許した。それでも、大きく崩れることはなく、大阪桐蔭打線に対峙した。
「エラーをされても抑えれば点は入らないんで、気持ちは切り替えていました。僕は抜くところは抜いて投げるタイプのピッチャーなのですが、大阪桐蔭打線は抜くところがなかった。インコースを投げないといけないと思いましたが、ここという時に甘く入ってしまったのが打たれた原因です」と唇をかんだ。
8回8安打6失点。
とはいえ、自責点3。見事な数字といえるだろう。
「良いバッターと対戦するのが好きなんで、今日は楽しかったです。ピンチでストレートを投げて抑えた時は嬉しかった。大阪桐蔭に自分の力が通用するか試したかった。通用しませんでしたけど、でも、力は出し切ったので、悔いはないです」
自由奔放なスタイルで悠然と王者に立ち向かった異色の左腕。
大会屈指の好投手として、記憶に残るピッチャーだった。
(文=氏原英明)