智辯学園vs早鞆
想像以上のプレッシャーとの戦い
初出場・早鞆の先発は、エース間津裕瑳(3年)ではなく、背番号10の堀田大生(3年)だった。「間津の調子が上がらず、今朝、堀田に先発を伝えた」と話した大越基監督。秋季大会の投球回数74、防御率1.09、奪三振率9.12の絶対的エースを先発としてマウンドに送れない指揮官。エースの変調は、選抜大会出場決定後から表れていたようだ。
大会前の甲子園練習で間津自身の口から、「出場が決まってから、色々と考え込んでしまった」という言葉が発せられた。
選考委員会での【中国地区NO1右腕】という評価。【大越基二世】という周囲に期待。それが間津の中でプレッシャーに変わっていった。
「精神的にもボロボロになり、一時は投手としてもうダメになるんじゃないか」と指揮官は危惧していた。これまでの学校生活や私生活からは想像できないほどの重症だったようだ。
初戦が近付くなかで指揮官の中に、先発堀田、リリーフ間津の構想が固まった。
マウンドを任された堀田は、指揮官の期待以上に躍動した。智辯学園打線を相手に4回まで無安打と完全に封じる。見方打線は4回に4番木村雄馬(3年)がセンターへタイムリー二塁打を放ち、相手エースの青山大紀(3年)から先取点を奪った。
しかし5回裏、8番山口悠希(3年)に初ヒットを打たれたのをきっかけに、堀田に智辯学園打線の脅威が襲う。2死2塁となって1番中道勝士(3年)に死球、2番浦野純也(3年)にも四球を与えてしまい満塁に。そして3番青山を詰まらせながらも、三遊間を抜かれ、ゲームをひっくり返された。
さらに4番小野耀平(3年)に一発を浴び、5対1に。このイニング智辯学園が放ったヒットは3本。7回まで投げた堀田が浴びたヒットはこれだけだった。
エースが本来の状態であれば、小野に一発を浴びた所で交代だったであろう。だが、残り4イニングあまりを考えると、カードは切れず、エースはライトから見守った。
8回表、9番堀田の打席で代打を起用した指揮官。堀田はロージンバックを持って、ブルペンへ走り、間津に声をかけた。
「落ち着いて、低めに投げろ」。
7回まで投げ続けてきた背番号10の檄に間津は吹っ切れた。その裏に上がったマウンド。わずか1イニングだったが、とても楽しそうに投げていた。
打者4人。被安打1、三振0。
春の甲子園での投手・間津の成績だ。
エースがボロボロになった状況で、励まし続けてきたチームメートにとって、その姿は誇らしく感じたことだろう。主将の宮崎竜之介(3年)は、「光が見えた」と笑顔を見せた。
この2カ月で間津が経験したことは、必ずこの先に生かされると信じたい。そして「堀田が本当に良く投げてくれた」と讃えた指揮官。ゲームには敗れたが、1時間48分で掴んだ財産は大きい。
そして、間津自身が感じていたプレッシャー。全てではないだろうが、報じる我々マスコミも大いに反省し、表現の仕方を慎重に考えなければいけないと、取材を通して実感せざるを得なかった。
(文=松倉雄太)