関西学院vs滝川
関西学院 木村聡志投手
姫路球場ラストゲーム 勝者は?
姫路球場での試合はこの日が最終日。そして来年から2年間、スタンド、グランドの全面改装に入るため、この滝川対関西学院の試合がラストゲームとなった。
試合は関西学院のエース・木村聡志(2年)が8安打を浴びながらも、滝川打線を完封。相手左腕の玉井貴大(2年)との投げ合いを制し、秋は1997年以来14年ぶりのベスト4進出を決めた。
「打たれて走者を出してしまったが、粘ることができた。バックの守備に助けられた」と振り返った木村。広岡正信監督も「ストライク先行で投げられる。成長している」とエースを讃えた。
木村の好投を支えたバックの堅い守り。象徴的だったのは1回だ。
場面は2死1,2塁で滝川5番の北皓介(2年)がレフト前へヒットを放った。二塁走者の宇都口滉(1年)は三塁を蹴って本塁を目指す。しかしレフトの辻本岳史(2年)からサードの江川遼治(2年)、そしてキャッチャーの河合祐輝(2年)へと見事な中継で走者の宇都口を刺した。
「レフトへ飛ぶと思っていた。その通りになった」と広岡監督。この日スタメンで起用された背番号18のレフト辻本。焦って本塁へダイレクトに投げるのではなく、しっかりと中継を挟むことができたのは、自分に打球が飛んでくる〝イメージ〝ができていたからだろう。しかも1回表の最初の守備機会でできたのは、試合前のノックから準備できていた賜物だ。
一方、その裏。関学の攻撃でも同じような場面があった。
2死2塁で4番の河合。滝川・玉井の初球をセンターへ弾き返した。二塁から一気に本塁へ向かったのは江川。本塁クロスプレーになると思わせるような打球だったが、センターが処理の際にファンブルし江川は悠々と生還した。センターも決して焦ったわけではないだろうが、打球に対する〝イメージ〝の違いがこの部分で出たのだろう。
滝川 玉井貴大投手
兵庫で今後注目されるであろう、好左腕から先に奪った1点。広岡監督も「この攻防が大きかった」と勝因に挙げた。
この1回表裏の2つのヒットはいずれも初球だった。両チームとも早いカウントからドンドン振っていったのがこの試合の特徴にもなった。関学の木村は100球、滝川の玉井は99でいずれも完投と少ない球数がデータとして物語っている。ただ両チームで違うのは点差による余裕の持ち方。先に1点を失った滝川は、何度も木村を攻め立てながら得点できず、明らかに焦っていた。
一方で関学には1点をリードした強みと四死球を出さない木村の安定感がチームに良い意味での余裕をもたらしていた。
勝負が動きやすい6回表。ラッキーなヒット2本と送りバントでわずか3球の間に2,3塁と攻めた滝川。しかし打席の6番北が中途半端な形でスクイズ失敗。そして続く7番井上嵩裕(2年)はライトフライに倒れチャンスを逸した。
その裏、関学は2死から3番八木亮介(2年)がこの試合初めてとなる四球で出塁。そして4番河合、5番久保雄太郎(2年)がいずれも初球を打ち返し、連打で追加点が入った。
攻め立てた滝川が取りきれず、ワンチャンスを生かした関学。これで完全に流れは関学に傾く。
終盤滝川は、無死の走者をバントではなく、1死からの盗塁を見せるなど攻め手を変えてきたが、流れまでは変わらずに勝負はそのまま終わった。「こうすれば良かったよな」とか、「スクイズもあったんちゃう?」と帰りがけにチームメート同士で感想を語り合う風景に出くわした。こういった何気ない会話の中でする感想戦も大事なことである。滝川にしてみれば、こういったゲーム展開でどう流れを変えていくか、どう勝つ方策を見つけていくかを学んだ試合になっただろう。
「私が現役の時もこの球場で投げたことがある。思い出はたくさんありますね」
と昔ながらの趣が残る姫路球場の感想を語った広岡監督。1959年に開場。明石球場と並び、兵庫県高校野球のメッカとして様々な好勝負が繰り広げられてきた姫路球場の歴史が〝一旦〝幕を閉じた。
(文=松倉雄太)