健大高崎vs今治西
送りバントを考える
「ランナーが一塁に出ると、高校野球は100%に近い形で送りバントをしてくる。だから、バント練習をしないなんて、考えられない」といったのは、昨夏覇者の興南・我喜屋優監督である。
実は、この夏の予選から、「送りバントは必要なのか」といテーマで試合を見ている。
高校野球では当たり前となっている送りバントが、実は試合の流れを止めているのではないかという疑念を投げかけながら試合を見ているのだ。
2011年夏開幕試合は、その視点から見ると、非常に参考になる試合だった。
まず、先制した健大高崎の先制は送りバントからだった。
先頭の3番・竹内が四球で出塁、続く4番・門村が左翼前安打で好機を拡大すると、5番・内田が犠打を成功。1死・2、3塁の局面を作る。続く・6番・柳沢がスクイズを決めると、これが2ランスクイズとなり、健大高崎が2点を先制。
送りバントは見事な作戦になった。4回にも1点を加え、健大高崎は3-0とリードした。
ところが、4回裏、今治西が反撃。
1死から3番・合田が中前安打で出塁すると、5連打を集めて、一気に4点を奪って逆転したのだ。送りバントなしの畳みかける見事な攻撃だった。8番・矢野敦のところで犠打を挟んで、2連打でさらに1点を追加したが、底に至るまでの攻撃では、バントにこだわらなくても得点が入るんだという象徴的なシーンだった。
そこからの両者の攻撃が面白い。
2点ビハインドとなった健大高崎は送りバントを使わず、今治西はバントを使った。劣勢なチームが積極的に攻め、優位な立場にある方が慎重な攻めをする。当然の戦略だが、両者1点ずつを取りあっただけで、試合終盤を迎えることになっていた。
特に、気になったのは今治西の攻撃だ。4回裏の攻撃で犠打なしの5連打で得点し、送りバントを使うと得点ができない。得点圏に走者を進めて主導権を握っているように見える半面、攻撃の流れが止まっているかのような印象さえ見えたのだ。
9回表の健大高崎、最後の攻撃は開き直りとともに、大反撃を仕掛ける。
先頭の門村が右翼前安打で出塁すると、続く5番・内田のところで強攻策。内田は左中間を破る二塁打を放ち、無死・2、3塁と一気に同点の好機を作った。すると、6番・柳沢が左中間を破る適時三塁打。2者が生還し同点に追いついたのだ。
さらに2死・二塁と攻め立てると、9番・片貝が左翼線へのテキサスヒット。これが勝ち越し点となり、健大高崎が逆転に成功。試合もそのまま勝った。
ポイントとなったのは、やはり、9回表の健大高崎の攻撃である。
2点ビハインド。先頭が出塁し、送りバントをしても1点を取る攻撃にしかならないから強攻策に出る。当然の策だが、これが1点ビハインドや同点なら、「送りバントで1点を取る」というのは、セオリーにとらわれ過ぎではないか。あの場面で、打席に立った内田は、それまでの打席で無安打だった。ただ、彼には「ずっと凡打だったし、守備でも捕り返したいという想いがあった。併殺を怖がらず、思い切りいけた」という想いがあった。それは、同点だからとか、1点ビハインドだからとかは関係がないはずだ。
彼の取り返したい想いが、あの打席で爆発し、チームに大きな勇気をもたらしたのだ。3点を取ってひっくり返した大きな一打といえたが、あの攻撃こそ野球の本来あるべきスタイルではないかと思えてきたのだ。
さかのぼって考えてみても、3回表に2ランスクイズを決めたのは見事な攻撃だったのは事実だ。これは、何試合かに1回のプレーだろう。だが、よく考えてみると、3回の攻撃で、無死1,2塁から犠打を決めたのは内田であり、2ランスクイズを決めたのは柳沢。9回の試合を大きく動かした二人なのである。
2ランスクイズは成功したから、間違いではない作戦だが、この試合をトータルで考えると、それほど送りバントが試合を左右してはいないということになる。むしろ、今治西の場合に置き換えてみると、送りバントをした時ほど得点が入らず、強攻ほど得点が入るという皮肉な結果を招いている。
結果論だということは承知している。
ただ、高校野球にある「一塁走者が出れば送りバント」というセオリーを考え直すきっかけになるゲーム。
2011年の開幕戦はそんな試合だった。
(文=氏原英明)