智辯学園vs桜井
対極にあるチーム同士の決勝戦
本塁打を放った智弁学園の山口がホームへ帰ってくると、桜井の捕手・末永はそっと声を掛けた。
「ナイスバッティング」。
見る人からよれば、敵に塩を送っているかのような光景だが、このシーンこそ、桜井が貫いてきたことだ。
同時に、一塁側の桜井ベンチでは数人が拍手を送っていた。
末永は言う。
「ホームランは野球の中で一番いい場面。だから、素直にナイスバッティングと言えました。山口君が聞いていたかどうかは分からないんですけど、自分自身、精神的に成長できたかなと思います。2回戦の平城戦では点を取られて切れてしまっていたのですが、素直に賞賛できるようになることで成長できると、気づかせてもらいました」。
羨ましい、恨めしい、憤る気持ち。
それらを捨てて、桜井ナインはグラウンドに立っていた。
とはいえ、試合は智弁学園の一方的な試合だった。
智弁学園は2回裏に失策がらみで先制、3回表に逆転を許すも、即座に逆転本塁打で試合をひっくり返した。そこからは、付け入る隙がなかった。左打者に好意的だったこの日の審判は、右打者の外に広く、左打者の外が狭かった。そこを、智弁学園バッテリーが巧みに料理した。外を中心に上手く使いながら、忘れたころに、インコースに見せ球としてツーシームを投げ込む。
「青山の持ち味は外の低めに伸びるストレートなので、打者から遠いところで勝負する方が打ち取れる確率は高いと思っていました」。
智弁学園の捕手・中道の証言である。
勝利への執念という言葉が合う。
智弁学園はこの試合で勝つための最善の策を選んでいた。今、書いたバッテリーの配球しかり、今大会、2本塁打の小野山に犠打をさせることしかり、8回裏、6点差がある中、ノーガードの桜井に2個の盗塁を決めてきたこともそうだ。
勝利のことを考えれば、桜井も智弁学園がやったような配球が必要だったのかもしれない。だが、そもそも、チームの哲学が違う。なぜ、桜井の捕手・末永が、もっと審判にあった配球を選ばなかったのか。応えは明白である。
「審判によってストライクゾーンは違いますけど、それによって、野球が変わるのはおかしいことというのがありました。自分たちがやっている、いつもの野球をやりました」
桜井の試合を見ていて思うのは、目の前の試合に全力を出し切るが、今、勝つためだけのプレーを選ばない姿勢があることだ。野球の中では相手のミスに付け込むという要素があるが、桜井は、決して、そこに野球の答えを求めない。
2回戦で見られた、先の塁をガツガツ狙わない走塁のことが思い起こされた。
桜井は2回戦の平城戦で相手の失策を8個もらったが、その時の彼らには相手のミスにあやかろうという姿勢がなかったのだ。
この日の試合でも、3回表の同点になった得点は智弁学園の守備によるミスからのものからだったが、本塁に生還した布家は、遊撃ゴロが飛んだ時、相手のミスを期待せず、流し気味に走っていたほどだ。
結果が欲しければ、彼らも、ミスに付け込むことを目指しただろう。しかし、現代の結果主義、成果主義は無駄なことを切り捨て、その結果として、混迷の時を迎えている。その中で、勝つための野球に固執することに未来は開けないことを彼らは気づいている。
勝ち負けにかかわらず、自分たちの野球を、1大会を通して貫けたこと、それが彼らなりの哲学だったのだ。
いわば、桜井と智弁学園による34年ぶりの決勝戦は、両極端にあるチーム同士の戦いだった。
桜井の姿勢は見事だった。
智弁学園の勝つための野球も、最先端のレベルの高さがあった。
どちらが正しいという答えはない。
ただ高校野球というフィルターを通して、智弁学園が正しい野球をしたというだけなのだ。
(文=氏原英明)