熊本工vs熊本学園大付
大村翼(熊本学園大付)
全力疾走で駆け抜けた
ベンチを飛び出し、小走りに走り出すとラインのところだけ、丁寧にピョンとまたぐ。そしてさらに加速してマウンドに駆け上がり、一礼する。
この日、走力に注目される二人の翼くんが登場した。
一人はその名を全国に轟かせる九州学院の韋駄天・山下翼である。
そしてもう一人の翼くんが、熊本学園大付の大村翼である。
走力は走力でも大村翼の注目は、全力疾走である。しかも彼は投手であるにも関わらずとくかく走る、走る、走る。
守りでは、投げた後に素早く駆けだし全力のカバーリング、攻撃では、飛球に倒れても二塁ベースを回るくらいの勢いで駆け抜けていく。もちろん冒頭でも紹介した攻守交替もである。
何度も言ってくどいようだが、とにかくよく走る。
投手であるのになぜでそこまで走るのか。
そう思われる方もいるかも知れないが、熊本学園大付は全員が全力疾走することでチームに一体感が生まれ、勢いがつくことを知っている。そのため、大黒柱である投手・大村が走ることにも大きな意味が込められていることだろう。
さらにこのことも忘れてはいけない。全力疾走といっても熊本学園大付の全力疾走は、ガチガチの厳しさだけではないということである。
なぜかというと、このチームは“エンジヨイベースボール”というものを感じさせてくれるからだ。
全力疾走をしながらも野球を楽しむというメリハリができていること。それは坂本博之監督がみせるベンチでのパフォーマンスに笑顔、そして選手の表情からもみてとれる。
全力疾走でスイッチを入れ、時には厳しいこともあるが、やればできると褒める時は徹底して褒めることで、監督、選手はもとよりスタンドも自然と笑顔になる。そんな全力疾走とエンジョイベースボールが、美しいコントラストを形成し、それが勢いとなって、今夏、熊本学園大付をここまで勝ち上がらせたということも確かにいえる。
大村も全力疾走についてこう話す。
「チームのモットーが、全力疾走なので、(投手である)自分も走ることで、(相手の)エラーを誘ったりして、それがチームに勢いをつけていると思います」
今度は、投手としてのスタミナについて聞いてみると「夏のために冬場にひたすら走り込んでスタミナをつけてきたので、後半も疲れはありませんでした」と当然のように胸を張った。
坂本博之監督(熊本学園大付)
そんな大村が名門・熊本工に立ち向かったこの日の試合はというと。
「今大会の中では今日が一番よかった」という坂本監督の言葉通り、この日の大村のピッチングは気迫がみなぎっており、心身ともにベストピッチであった。低めに決まるストレートにスライダー、チェンジアップも冴えた。そして、7回終了した時点で両軍のスコアボードには“0”が並び続けており、ここまで熊本工打線を被安打3に押さえ込んでいたのだ。
だが、8回、先頭の江崎信仁に四球を与えてしまった。江崎と言えば、50mを5秒85で走り、熊本工の林幸義監督を「(藤村)大介(熊本工→巨人)のような存在」といわせるほどのスピードスターである。
そんな江崎を「意識し過ぎた」という大村は四球を与えたを悔やんだ。熊本工は江崎を送って、さらにワイルドピッチで2死三塁。ここで3番・宮端航平が遊ゴロを放ったが、あまりにも速い江崎の快足に遊撃手はホームに投げることすらできなかった。
結局、その1点が大きく伸し掛かり、相手こそ違うが0-1という昨夏と同じスコアで敗れ、大村翼の夏が終わった。
自身、三度目の夏となった最後のマウンド。1年夏の4回戦・熊本工戦、2年夏の2回戦ルーテル学院戦でともに先発し、敗れたことで「先輩たちに申し訳なかった」とダッグアウトから出るや否や泣き崩れた大村だったが、今年は涙ひとつ見せず、さわやかな表情だった。それは彼自身が最後の最後まで全力疾走で駆け抜けられたことを指していたのかも知れない。
「監督はいつも自分のことを考えてくれて、試合では気持ちを乗せてくれたりと本当に感謝しています」
大村は、インタビューの最後にそう言い残し、泣きじゃくるナインのもとに戻っていった。
その時点での坂本監督はというと、報道陣や関係者に囲まれおり、まだ大村との会話を交わしていなかった。
「う~ん、なんて言いましょうかね。3年間お疲れ様でしたって言いましょうかね」
大村になんて声を掛けますかという問いに対して坂本監督は、照れながら空を見上げた。
グラウンド、そしてダッグアウトから出てきても決して涙を見せなかった大村であるが、球場を去った後、全力疾走で駆け抜けた3年間を噛みしめるように泣いていたかも知れない。
「ありがとう・・・」
指揮官が立ち去ったあと、気のせいか。球場の外からそんな言葉が聞こえてきた。
(文=編集部:アストロ)