大垣西vs岐阜
大垣西・大蔵
大垣西、監督の古巣相手に昨秋の雪辱劇
晴れやかな表情で、大垣西・福島秀一監督が試合を振り返る。「立ち上がりに点を取られて、苦しかったよ」と言いながらも、終わってみれば12安打11得点の完勝だった。そして、豪快な勝ち方もさることながら、<岐阜高に勝った>という結果が、福島監督にとって嬉しかったのではないかと筆者は推察する。
福島監督にとって、岐阜高は母校であり、大垣西に異動するまで長らく指揮を執ってきた「前任校」でもある。2001年には夏の大会でベスト4に進出し、甲子園まであと一歩と迫った。県下屈指の進学校・岐阜高について「自分もかつて中にいたから分かるんですが、そんなに強いチームじゃなくても、ここ一番で強さを出せる子たちが揃っている。切り替えが早い上に、野球が終われば受験が待っているから、3年間の思いを試合にぶつけてくる。今日も非常にやりにくかったです」と胸中を明かした。
そして、この日の岐阜高とのゲームは、「母校・前任校」云々以前に、また別の意味もあった。「あれがケチのつき始め」と福島監督が振り返る、昨秋の「県下選抜大会」での岐阜高戦(2010年10月24日)が、このチームの原点になっていたからだ。この試合でサヨナラ負けを喫したにも関わらず、部員の言動からは全く悔しさを感じ取れなかったという。これで、福島監督の怒りに火がついた。「あれがあったから、冬は苦しかったよ」という監督の言葉が、どれだけ部員を鍛えたかを暗に物語っていた。
大垣西・古沢
そしてこの夏、同じカードで畳みかけた。「昨秋に負けた分、きっちりリベンジすることができたね」と、福島監督は充実の表情だ。私事だが、筆者は高校時代、何度か福島先生の体育の授業を受けている。筆者は野球部ではなかったので深く関わることはなかったが、当時から<怖い>という印象しかなかった先生が、これだけ嬉しそうに部員たちの活躍を喜んでいるのを見ると、どこか不思議な感じがしてくるのだ。
さて試合は前述のとおり、大垣西の打線が12安打11得点と爆発した。3打数3安打の1番・古沢秋平や、3番・石崎俊博をはじめ全体的にスイングが鋭く、どこからでも点が取れる。「けが人が復帰し、6月ごろからようやく打線が振れるようになった」と福島監督は話す。「4番・奥村裕馬はヒジを2回手術したし、5番・広瀬優斗もヘルニアに苦しんだ。彼らが戻り、初めてベストメンバーが組めている」と、苦労を乗り越えての夏舞台に手ごたえは確か。レギュラー陣が留守の間、実戦経験を積んだ控え組の存在も頼もしいところだ。
先発の大藏彰人は本調子からは遠かったが、5回を1失点でとどめた。監督は「これだけの暑さの中でストライクが入れば十分。四球を与えるのに比べたら、打たれても構わない。バットに当てられても、7割はアウトになるんですから」と、2回以降ゼロに抑えた粘投を評価した。
敗れた岐阜高は3投手が打ち込まれ、3回戦で姿を消した。
(文=尾関 雄一朗)