寄居城北vs岩槻商
岩槻商・村上君
ベンチ入り15人とマネージャーも一丸となった岩槻商、一歩及ばず
ベンチ入り選手15人の岩槻商。
6人の女子マネージャー合わせても全部員で21人だ。
この3月の東日本大震災の後は、恒例の関西遠征を返上して、さいたまアリーナに被災してきた人たちに対して、炊き出しなどのボランティア活動を行った。
これは、須合啓監督の、「今、自分たちが出来ることをやろう」という提案で実施されたものだった。そのことで、チームとしての整備はやや出遅れた部分もあったかもしれないが、部員たちはそれ以上のものを経験し学ぶことが出来た。そうした活動もまた、高校野球の一つなのである。
その岩槻商、春の大会前には肺気胸で倒れてしまって投げることが出来なかった、本来のエースだった丸山君がようやく治って、何とかこの大会で投げられるようになった。
チームとしては、期する思いがあったはずだ。
ところが、試合は初回の攻防が結果的には明暗を分けることになってしまった。
岩槻商は、先頭の中島君がいきなり右前打で出ると、2死二塁としてから、死四球で満塁と攻めたが、あと一本が出なかった。寄居城北の保泉君がよく踏ん張ったともいえる。
その裏、寄居城北は1死後、斎藤太君が左翼線二塁打で出ると、森君、加藤君、田島君と続いて3点を挙げ、なおも1死三塁で青山君のスクイズで4点目が入った。
試合前のゲームプランとして、「4失点までならば大丈夫」と考えていたという須合監督だったが、その4点をいきなり失ってしまった。
それでも、岩槻商も慌てないで、「1点ずつ返していけばいい」という姿勢を貫いて、2回には中島君のタイムリー打でまず1点を返し、3回にも三塁打の下田君を四番村上君の犠飛で迎え入れ2点差。
丸山君も、2回以降は徐々に自分のペースを取り戻していった。守りでのミスが出ても、淡々と投げてその後を抑えていく姿勢は好感が持てた。そして、7回には二塁打の川俣君が、相手のバント処理ミスで帰ってついに1点差となった。じわじわと追い上げながらの1点差。流れとしては、ほぼ同点と同じといってもいい状況とも言えた。
岩槻商の三年生マネージャー、左から佐藤未奈恵さん、平井愛美さん、金子美雪さん
しかし、そこから、寄居城北の保泉君もよく踏ん張った。1点差とされた後の、なおも2死三塁の同点機で、下田君の好打を左翼手の青葉君が好捕したのが大きかった。これで、一旦流れを切ることが出来て、8回、9回と保泉君はしっかりと投げて、そのまま逃げ切った。
幸先のいい4点を奪いながらも、苦しい展開で辛勝ということになった寄居城北の岡村健二監督は、「苦しい試合でした。スクイズで4点目を取って、いい形だったんですが、苦しみました。それでも、何とか守りで粘ることが出来た試合だったと思います」と、振り返った。
3年前に、寄居と川本が廃校となるに伴って、両校が統合してできた新校なのだが、寄居城北の単独としては2年目での初勝利となった。新校誕生とともに今の3年生たちと一緒に歩んできた岡村監督としても、苦しいながらも嬉しい勝利となった。
少ない部員だけに、マネージャーも大事な戦力となるのだが、この日記録員としてベンチ入りしていた佐藤未奈恵さんは、イニングごとに円陣に向かって、相手のデータなどの情報を伝えていた。
そして、ベンチの最前線で立ってスコアをつけながら、大きな声で仲間を励ましていた。「3年間、楽しかったし、自分も成長出来ました。他人を喜ばせる力、“他喜力”を学びました」と、涙を流しながらも、それでも自分たちのやるべきことはやれたという満足感もあったのか、笑顔も交えてくしゃくしゃになりながらも、それでも歯切れよく語ってくれた言葉が印象的だった。
彼女にとって、岩槻商野球部での2年5カ月は、きっとこれからの人生の中でも輝くものとなり、誇りと支えとなっていくことだろう。
「少ない部員の中で、あれもやろう、これもやろうということでやってきて、結果として故障者も出てしまったのですが、それでも、4人の3年生はそれぞれ、自分のやれることを精いっぱいやってくれたと思います」と、最後は須合監督も少ない中で頑張ってきた選手たちを称えていた。
(文=手束仁)