香川西vs明徳義塾
ワイトボードに残されていた俳句
「球受ける極秘」体現した香川西、明徳義塾にリベンジし初の四国制覇!
「球受ける 極秘(ごくい)は 風の柳かな」。
この歌は明治時代を代表する愛媛県松山市出身の俳人、そして日本における「野球(の・ぼーる)」名づけの親とされる正岡子規が東京大学予備門時代、キャッチャーとして当時は珍しいカーブを受けていた際に捕球のコツを詠んだ句とされている。
ここで話は決勝戦前日にさかのぼる。準決勝を終えた一塁側・香川西ベンチのホワイトボードにはなぜかこの句が達筆な筆跡で黒書きされていた。
「ベンチに入ったら書いてあったんですよ。馬淵さん(史郎・明徳義塾監督)が残していったんですかね?」
香川西・岩上昌由監督の推察通り、書の主は明徳義塾・馬淵史郎監督であった。そして決勝戦開始1時間前、そのままホワイトボードに残されていた俳句に「草茂み ベールボールの 道白し 子規」と書き加えた名将は、俳句の表の解釈をしばし説明した後、筆者にこう告げた。
「今日は福永(智之・2年)を先発させます。この時期に尾松(義生・3年)を3完投させるわけにはいかないので」。
こうして始まった決勝戦は秋の四国大会決勝戦に続き、センバツ1回戦で日大三・吉永健太朗(3年)に5回100球超を投げさせた明徳義塾打線と、満を持して先発のマウンドに上がった香川西エース・宇都宮健太(3年)との「持久戦」の様相に。5回で113球を宇都宮に投げさせた要因となった、「1・2回を簡単に終わってしまったことが彼を精神的に楽にさせた」と馬淵監督は指摘したが、それでも明徳義塾ベンチによる「低めのスライダーは見送り三振でもいい」指示の徹底は見事であった。
宇都宮健太(香川西)
それでも1対15という記録的大敗を喫した秋から一転、宇都宮が9四死球を出しながらも11奪三振1失点で9回を投げ切れたのは、普段、選手たちを表立って褒めることがない岩上監督が「影の主役」として褒め称えた中西大輔(捕手・3年)の存在があったからだ。
「宇都宮の生命線であるスライダーやカーブが止められなければ真っ直ぐしか投げられないと思ってしっかり止めにいった」彼の強い意思は、3回裏には2死満塁で完全な逆球に対しプロテクターをミット代わりにして暴投を防ぎ、続く4回、2死1・2塁にもスライダーを前に止めて、すかさず3塁を狙ったランナーを刺す殊勲を生み出すことに。
その直後5回表に香川西が2者を背負い3連投のマウンドに立った尾松から暴投と「今まで足を引っ張っていたので、ここで打たなきゃいる意味がないと思った」4番・小林正和(3年)の2点タイムリーで3点を先制できたことも、その裏に2死2塁から「秋は真っ直ぐが多かったし、変化球も今日のようなキレはなかったけど、今回は変化球が8割だった」と首をかしげた明徳義塾4番・北川倫太郎(3年)をスライダーで三振に打ち取り、宇都宮が「初回の立ち上がりは大胆に、2順目からは相手との力関係を見て配球する」テーマを完全に貫けたのも、それまでの「風の柳」のような中西のナイスキャッチなくしては生まれなかったのだ。
かくして下馬評を完全に覆す香川県勢としても13年ぶりとなる香川西の初優勝で幕を閉じた春季四国大会。
「昨日は試合が終わった後に走らせたので、今日は気持ちの部分は一切言わなかった。大事なのは夏ですけど、今日は全力を出し切って野球ができたことが純粋に嬉しい」と満面笑みの香川西・岩上監督と、「勝ちたかったけど、一番大事なのは夏だから。これで選手個々の実力がよく分かった」と苦虫を噛み潰した表情の明徳義塾・馬淵史郎監督は同じ夏を見据えながらも、試合前の様子とは全く違うものとなっていた。
では、消そうと思えば消せた俳句を馬淵監督はなぜ香川西ベンチに残したのか?
そしてなぜ正岡子規の俳句をホワイトボードに書いたのか?
その真意は謎のままだ。ただし、ただ一つ確かなのは「球受ける 極秘は 風の柳かな」を体現した香川西が初の四国タイトルをつかみ、明徳義塾は「草茂み ベールボールの 道白し」のもう1つの解釈、「困難な状況の中でも徹底したことを続ければ、必ず勝利に結びつく解決法はある」を読み取れなかったことである。
(文=寺下友徳)