波佐見vs横浜
突きつけられた厳しい現実
このゲームを見られた方は、どのように感じられただろう。春夏5回の全国制覇を誇る横浜と、春初出場の波佐見の試合は、やや一方的な感すらする波佐見の快勝だった。
「少ないながらもチャンスは作ったが、ここぞという時の一本が出なかった」。
予想以上の完敗となった試合を振り返った横浜・渡辺元智監督。その表情は何とも、もどかしいように感じた。おそらく多くの高校野球ファンも、横浜の元気のなさに驚いたのではなかろうか。
相手・波佐見のエース松田遼馬(3年)は、今大会でも屈指の右腕。それでも、こういう投手を攻略する術を横浜は過去の甲子園で見せつけてきた。甲子園経験者が一人もいない今年のチームが、松田に対してどう挑むのか。
その松田は立ち上がりから自己最速の148キロを記録するなど、絶好調だった。しかし裏を返せば、やや飛ばしすぎにも見える。序盤は、松田の快速球に詰まらされていた横浜打線だが、球威が落ちるであろう後半には攻略の糸口を見出せると見ていた。
4回まで毎回ヒットを放ち、得点圏にも走者を進めた横浜。だが松田は10~19球で無得点に抑えていた。5回、横浜の打者陣は松田に対してファウルなどで、できるだけ球数を投げさせる策に出る。松田は厳しいコースしか狙えなくなり、ボール球が多くなる。これにつけこんだ横浜は、ヒットと四球で走者を溜めると、波佐見内野陣が乱れる間に1点を返した。
この時点で徐々に流れが横浜へ傾いていたのは間違いない。しかし、打線は肝心な所で松田の投じる球に力負けする。同点から逆転へのチャンスを作りながらも1点止まり。これが最終的に、大きく響く形となる。
5回に31球を松田に投げさせた横浜は6回も同様の策に出る。このイニングも31球を投げさせたが、結局無得点。気づけば波佐見との得点差は3に広がっていた。
6回裏、渡辺監督は制球難に苦しむ横浜先発の山内達也(2年)から、右の柳裕也(2年)にスイッチした。何とか流れを変えたかったのだろうか。
7回表、横浜は初めて先頭打者を出し、二死満塁まで攻め立てるがここでも得点を返せない。点差を詰められない焦りもあったのだろう。横浜ベンチに元気が感じられなくなっていた。
その裏、波佐見はさらに1点を追加してその差は4点に広がる。過去幾度も終盤に奇跡を起こしてきた横浜なら決して絶望的な差ではないはず。しかし今の横浜には、4点差は果てしなく重かった。
焦りばかりが目立つ横浜は9回表の攻撃で、あきらめていたと思わざるえない事が起こる。一死一、二塁で投手の柳に打席が回る。渡辺監督は柳に代えて金原悠真(3年)を代打に送った。この場面でベンチの選手は誰一人動かず、金原の打席に目を集中させる。
投手への代打となれば、ベンチでじっとしていてはいけない選手が必ずいる。次に登板する投手だ。試合中盤に背番号18の向井正揮(3年)がブルペンで投げ込んではいたが、この場面では動かなかった。試合をあきらめていなければ、当然キャッチボール程度の準備をするのが基本。これもあの強かった時代の横浜では考えられないことである。
結局、金原は併殺打に倒れて試合は終わった。
大会前の甲子園練習で渡辺監督は今年のチームを、「(長い間)監督をやってきて初めて高校生らしいチーム」と評している。下級生が多く荒削りで、昨秋から若いチームと揶揄されることが多かった。それでも横浜なら一冬でそれなりのチームに仕上げてくると秋の段階では見ていたが、春になってもチーム状態が思うように上がらず、力に結びつかなかった。
松田攻略の糸口を掴み、術を講じたが、それを生かす力が備わっていなかった横浜。これが春だからなのか、それともこのチームの限界なのか。今後数年にわたる横浜の命運が、これから夏までにかかっているような気がしてならない。
(文=松倉雄太)