都立大島vs都立高島
清瀬(都立大島)
大島伸び伸び、奔放野球で初戦突破
都立大島の先発メンバーで背番号と守備位置が一致しているのは4人だけだった。秋の新チームが出来た時からコンバートなどで守備が入れ替わったのだが、新しい背番号を用意するのがもったいないから、そのままでいくことにしたという奔放さだが、それがチームとしても持ち味のようになっている。
投げる、打つ、走る、捕るという野球の基本的な面白さを楽しんでいるというようなスタイルの野球は、1点リードされた4回に、秋までのエースだった岡本君が3ランを放って逆転。左翼ポールぎりぎりで切れるかとも思われたが、腰が回転してしっかりと振り切っていたので打球はそのままきれずに入った。
さらに、もしかしたら延長もありかなと思われかかった9回、この回先頭の九番下村君が死球で出ると、牽制悪送球で一気に三塁まで進むと、吉岡君が左犠飛を放って突き放した。結果的にこれが決勝点となった。それまで、二度もスクイズ失敗(サインミスが一つ)で挟殺されるなど、必ずしも流れとしてはいいものではなかったのだが、そんな失敗も尾を引いていないという雰囲気だった。
「島の子の大らかさですかね。ミスはいくつもあって、決していい内容ではないのですが…」と、天野一道監督も苦笑していたが、それが都立大島の野球なのかもしれない。背番号5の清瀬君は力でぐいぐいと押してくるように投げていたが、天野監督は「もっと投げられるはず」と、次への期待はさらに大きい。この日は、23時の船で一旦島へ帰り、エネルギーを蓄えてまた海を渡ってくるのである。
先制しながら3ランで逆転されたが、それでもしぶとさを見せて1点ずつ返して追いついた都立高島。6回2死から四球と山下君、相原君の連打で同点とするなど、チームとしてもよく練られているという印象だった。しかし結果としては、惜しくもあと一歩及ばなかった。
都立高島としては実は、前日の練習でエースの酒井君が指を傷めて投げられない状態になっていたのも痛かった。それでも、大事な試合を急遽負かされることになった左横手の変則丸山君はよく踏ん張った。いろいろ自分で工夫して身体をたたむようにする投げ方にたどり着いたという丸山君だ。7回投げて3ランを浴びた4回以外はよくこらえていた粘りの投球だった。
2001年夏に都立城東の四番として甲子園を経験した内田稔監督は、「勝負どころは6回に同点とした後と、8回に満塁のピンチを何とかこらえたその裏の三番からの攻撃があっさり3人で終わってしまったことですね。結局、流れを呼び込みきれませんでした」と、悔やんだ。「勝たせてあげたかったですね。最後の夏のミーティングは、辛いですよ」と、青年監督自身も公式戦の初勝利を記録出来なかった悔しさがにじんでいた。
好投した丸山君も投げずじまいだった酒井君も2年生。長い夏休みでの成長を期待したい。
(文=手束 仁)