アジア勢の健闘とキューバの強さが目立った2000年代の国際大会
2000年代のオールプロで参加した国際大会を見ると、日本・韓国のアジア勢とキューバの強さが目立ったように見受けられる。2000年代の国際大会は、アテネ五輪はキューバが金メダル、日本が銅メダルを獲得。その後、日本はワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を連覇。韓国は北京五輪で金メダルを獲得し、2009年WBCでは準優勝になるなど、歴史的に見ても屈指の強さを見せていた。
日本に関しては実力的には上と見られていた試合を取りこぼす試合も多かったが、スカウティング不足や国際大会における戦い方や方向性が定まっていなかったとも言える。具体例を挙げると、選手の選出も辞退者はもちろんのこと、五輪とWBCで選出方法がバラバラだったのは否めない。その中で、イチロー外野手(当時マリナーズ)が参加したWBCでは戦いながらチームの方向性を定めて、連覇を成し遂げて、世界に日本の野球を轟かせられたのではないだろうか。
アテネ五輪は初のオールプロでありながら、シーズン中の国際大会だったこともあり、各球団2選手までの選出という規定があったこと。そのため、選考段階で難しい判断になったのは間違いない。また、国際大会における準備不足とスカウティング不足も露呈した。当時の対戦成績が悪かったキューバに意識が行きすぎた。そのため、ノーマークだったオーストラリアに2連敗して金メダルを逃した。
そのオーストラリアは、この五輪前に日本でプレーをしていたニルソンやゴンザレス、ウィリアムスが投打の軸として出場。特にニルソンには丸裸にされており、ウィリアムスが「ディンゴは『五輪で日本戦に勝つために日本野球でプレーしたんだよ』って言ってたよ。それほど日本選手を研究していた。バッテリーが母国語でコミュニケーションを取れるのは大きかったね。僕ももちろんオーストラリア代表の一員として、チームに情報を提供したよ」とコメントするほどだ。また、この時のオーストラリアは決して楽に勝てる相手ではなく、マイナーリーグには15人所属しており、現段階では歴代最高のチームだったと言っても過言ではない。当時の日本の実力を見ると、キューバと同様に研究さえしっかりすれば勝てていただけに残念な結果となった。
北京五輪は大会前にメディアから金メダルが約束されていたかのような雰囲気でまさかのメダルなしに終わった。その要因はライバル韓国をはじめとしたキューバ、米国に1勝もできずに終わった。韓国に関してはこの大会のために、国内リーグを休止して臨んだことから、この大会に賭ける意欲や事前の調整に関しても差が生まれた結果になった。キューバに関しても2006年のWBCでは、メジャーリーガーなしで決勝にまで進んでいる。当時もグリエルやデスパイネ、ベルなどメジャーから日本まで活躍する選手がいた。
星野 仙一氏は、大会前の練習試合を視察を試みたが中止に。しかし、キューバに関しては野球の世界大会にほとんど出場しているため、北京五輪の大会前からではなく、さらに前から研究はすべきだったのではないだろうか。米国に関してもメジャーリーガーがいないから楽に勝てると、たかを括っていた可能性は高い。その結果、米国にも2敗している。まさに史上最悪の国際大会だった。アテネ五輪とは異なり、各球団2選手の縛りなどがないにも関わらず、実力主義ではない選出も含めて、理解が追いつかないレベルで過去で一番酷い大会だった。
(記事=ゴジキ)