149キロ右腕・池田陽佑(智辯和歌山)の原点。投手人生のスタートは13歳の誕生日から【前編】
1級生時から智辯和歌山投手陣の一角としてチームの躍進に貢献してきた池田陽佑。2年秋よりエースナンバーを背負い、今春のセンバツ大会では2試合、13回を投げ、自責点はわずか1。啓新との2回戦では降雨による1時間50分の中断に集中力を切らすことなく121球を投げ切り、高校初の完投勝利をマーク。8強入りの原動力となった。センバツ後は質のいいストレートにさらに磨きがかかり、いまだ成長途上の真っただ中。夏の和歌山大会開幕を控えた6月下旬、高校最後の大一番に臨む、伸びしろたっぷりの右腕に会うべく、和歌山県和歌山市に位置する練習グラウンドを訪ねた。
名門のエースとの対面!
池田陽佑(智辯和歌山)
「センバツが終わってからの2か月で体重が4キロほど増えたんですよ」
貴重な練習時間を割き、筆者の待つバックネット裏へやってきた池田陽佑。「体、一段と大きくなってませんか⁉」と尋ねたところ、人懐っこい笑顔ともに冒頭の答えが返ってきた。
「トレーニング、食事の量は今まで通りですし、特に増やそうと思ったわけじゃないんですけどね…。体重は今、人生で一番重いです」
高校1年時に180センチ76㌔だったボディサイズは現在181センチ86キロ。「どっしり」という表現を用いたくなる、実に頼もしい体躯だ。
高校では親元を離れてのアパート暮らし。身の回りのことを一人でおこなう生活は3年目に突入した。
「食事は近所の定食屋さんと学校が契約しているので問題ないんですけど、洗濯が結構大変ですね」
朝寝坊の不安は尽きないそうだが、母親からのモーニングコールには「けっして頼りません」ときっぱり。
「『この時間に起きるんだ!』と気合を入れて、目覚まし時計をセットすると、なんとか起きれるもので…。親元を離れて生活しているわけですから。ちゃんと自立しないと、と思っています」
京都府宇治市で生まれ育った池田。地元の少年軟式野球チーム「神明スポーツ少年団」で野球を始めたのは小2の冬だった。
「チームがグラウンドで練習しているのをたまたま通りがかりに見ていたらすごく楽しそうで。すぐに母親に『ぼくもやりたい!』とお願いし、入部しました。それまではキャッチボールをしたこともなければ、テレビで野球中継を見たこともなかったんですけど、すぐに野球が大好きになりましたね」
中1の秋にスタートした投手人生
投内連携に入る池田陽佑(智辯和歌山)
全くの初心者からのスタートだったが、肩は先天的に強く、同級生のチームメートよりも強いボールが投げられるようになるのに時間はかからなかった。
小学生時代のポジションは小5まではショートがメイン。「小4からは時々、投手もやってましたが、一番好きだったのは内野手です」。小6になると強肩を買われ、キャッチャー専任となった。
中学ではヤングリーグ所属の硬式野球クラブ「京都ブラックス」でプレー。ポジションは再び大好きな内野手に戻ったが、中学1年の11月、チームの監督から唐突に「池田、おまえ誕生日いつや?」と尋ねられた。
「11月17日です」
「そうか。もうすぐやな。そしたら誕生日プレゼントにピッチャー用のグラブを買ってもらえ」
監督に言われた通り、誕生日プレゼントとしてピッチャー用のグラブを買ってもらい、13歳の誕生日直後の練習に持参したところ監督は笑顔で言った。「今日からピッチャーやれ」
秋季和歌山大会での池田陽佑(智辯和歌山)
池田は少し遠い目をしながら、本格的な投手人生がスタートした5年前の秋を振り返った。
「粋なコンバートの伝え方をしてくれたことに対しては嬉しかったんですけど、『内野手がいいのにな…』という気持ちが強く、最初はあまり気が進まなくて…。でも、指導者の方々の期待も感じましたし、やるからにはしっかりやろうと。コンバート当初はコントロールはそんなによくはなく、ストレートだけで押し切るようなピッチャーでしたね」
中1の段階で165センチ55キロだった細身のボディは本格的な成長期の突入と共にすくすくと育った。
投手転向時に120キロ付近だったストレートのスピードは体の成長に比例するかのように向上し、中3の春を迎えた頃には最速135キロをマーク。エースとして2016年春の全国大会出場に導く活躍を見せた。
高校野球の舞台として選択したのは、和歌山の名門・智辯和歌山だ。
「投手として声をかけていただけて。『あの強打で有名な智辯⁉ 甲子園常連の強豪校じゃないか!』と。レベルの高い環境でぜひやってみたいなと思いました」
京都の実家を離れ、高いレベルを誇るチームメートとともに全国制覇を目指す日々が始まった。
前編はここまで。後編では池田選手が直面した大きな壁。そして、センバツ大会後、急激な球速アップについて語ってもらった。後編もお楽しみに!
【後編を読む】驚異的な球速アップの要因は「右手の小指」。たどり着いた剛速球右腕への道 池田陽佑(智辯和歌山)【後編】
文=服部 健太郎
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