背番号19を背負って再び東京ドームのマウンドへ!上原浩治の凄さを大学の後輩が語る!
読売ジャイアンツと再契約をした上原 浩治
100勝、100ホールド、100セーブ。日本とアメリカを渡り歩き、世界で2人目の金字塔を打ち立てた上原浩治。
今季は古巣・読売ジャイアンツに復帰し、チームを牽引した。だが優勝に導くことはできず、自由契約。現在は手術した左膝のリハビリに励んでいる上原だが、12月14日にジャイアンツとの再契約を発表した。
1998年のドラフト会議でジャイアンツを逆指名して1位指名でプロ入りした上原だが、1年目から20勝、新人王、沢村賞を獲得。その後も日本一、世界一に輝くなど、数々の偉大な功績を残してきた。
そんな上原の大阪体育大学の後輩で、当時入れ替わりで入学し、現在は六甲アイランドで監督を務める深浦健太氏は、
「50メートルを100本走ったりして、毎日5キロ分くらいのダッシュをしていたそうです。」と、大学時代の練習について語る。そのひたむきな努力が、プロへの道を切り開いたに違いない。
また、大阪体育大出身で現在は橿原学院で監督を務める谷車竜矢氏は、
「僕らが大学生だった頃にジャイアンツからメジャーリーグに行かれたんですが、その時にちらっと監督に挨拶に来た1回くらいしか会ったことがないですね。僕達大学生からしたら、「うわあ、テレビで観てる人だ」って感じで、信じられないくらいオーラがある方でした」
と後輩から見た上原の凄みを話してくれた。そして上原の活躍に感謝の言葉を述べた。
「僕らが周りの方に『大阪体育大の野球部です』と言って、『ああ、上原か』と言ってもらえるのは有難いです。
上原さんは野球部の顔と言いますか、世間的に『強い野球部なんだ、しっかりとした野球部なんだ』というイメージを付けてくれました。すごいなと思います。」
上原がひたむきに積み上げてきた実績が、周りの人間にも大きな影響を及ぼしていた。上原が歩んできた道のりには多くの人の支えがあったことがわかる。
再び背番号19を背負ってマウンドに上がり続ける上原の姿が、これからも多くの人たちに活力を与え続けていく。
上原もその人たちの声援を一身に受け、右腕を振り続ける。
文=編集部