金田留広の晩年 都立総合工科の投手陣にとって欠かせない名投手コーチとなっていた
金田留広。
400勝投手の金田正一氏の弟として知られ、ロッテ時代は監督となった正一監督の下でエースとして活躍し、1974年には16勝を挙げ、最多勝。さらに優勝にも貢献した。その後、広島東洋カープの79年、80年の連覇に貢献。通算128勝を挙げた名投手である。
中年のプロ野球ファンにとって「あぁ留さんか」と懐かしむ方は多いだろう。その金田広氏が5年前から逝去されるまで都立総合工科の外部コーチだったことはご存じだろうか。たとえ指導していたことは知っていてもどんな指導をしていたかは知らないはず。
今回は金田氏がどんな指導を行ったのか。それについて選手、指導者が学んだことを聞くと、改めて金田氏は高校野球の底上げに尽力されていたことに気づく。金田留広氏の都立総合工科での指導内容、功績をこの場で紹介したい。
金田氏と都立総合工科の接点
金田留広氏 写真提供:金田昌巳さん
まず金田氏と都立総合工科の接点ができたのは15年前のこと。都立総合工科の前身・世田谷工の監督だった長嶺 功氏が修徳高校のグラウンドで金田氏と初めて出会う。
「元気があって面白いやつだと気に入られて、それから付き合いが始まりました」と長嶺氏は当時を振り返る。この出会いがなければ、金田コーチは誕生しなかった。
それから金田氏は総合工科のグラウンドに訪れると、長嶺氏と野球論を交わす日々が続いた。そして2013年、学生野球憲章が大幅に改定され、元プロ野球関係者が学生野球(大学、高校)を指導する道が開かれ、金田氏も受講し、学生野球資格回復。5年前から都立総合工科の外部投手コーチとなった。
足立新田・有馬監督
また昨年まで都立総合工科の指揮をとっていた有馬監督(現都立足立新田監督)はコーチ就任時のエピソードについて振り返ってくれた。
「留さん(金田氏)が資格回復を証明する書類を私に見せてきて『有馬、俺も高校生を指導できるぞ』といってきて。これは明らかにコーチとして雇えということだよなと思ったんです。ちょうど総合工科の校長先生が広島出身で、カープの連覇に貢献した留さんは校長にとってヒーロー。だから留さんの姿を見て、『あれは金田留広さんだよね?』と目を輝かせて話をかけてきて、私が校長に『留さんがコーチになりたい』といったら、即答で『いいよ』。それでコーチ就任となりました」
コーチに就任してから金田氏は投手全般を指導。技術、トレーニングの指導まで行った。有馬監督が期待していたのは、精神面のケアだ。
「私は投手のことを「投手種族」と呼んでいるんですけど、いつスイッチが入ったり、切れたり、するのが見えないんです。私は野手出身なので、長くやってもそれは本当にわからない。ただ留さんは、プロであれだけの修羅場をくぐった方、そういうのが分かる方だと思って、投手がKOされた時は、留さんが話してくれたりしていましたね」
金田氏はその投手のタイプに応じた指導を実践していた
左:水上辰也 右:伊藤優希
また、指導はその投手の特徴にあった指導をしていた。1年生として威力ある速球を投げ込む右腕・伊藤優希は、「投手のイロハを教えてもらいました。先頭打者への配球、ストライク先行の重要性など。自分は中学の時、投手についての深いところを学んでいなかったので、勉強になりました」
同じく1年生の野本凌馬は「僕はストレートがナチュラルに動くので、右打者へのインコースはシュートするからそれを武器にしていけといわれました。あとは遠投の仕方も教えてもらい、純粋に肩を強くするために遠い距離での遠投、自分の目線ぐらいの低い弾道でのキャッチボールをして、ストレートの伸びを磨く遠投を教わりました」
また、2年生左腕の水上辰也は詳しく教えてくれた。
「現役時代の話をたくさんしてくださいまして、投手としての心構えを学びました。特に強く教えられたのは、試合前の準備です。体のキレを出すために、短ダッシュは重要だと教わりまして、試合前のアップには短ダッシュを取り入れました。また自分はストレートを速くしたいと思っていて、それを金田さんに話をしたところ、ストレートを速く見せるピッチングをしなさいと。そのためにカーブを決め球にしました。最初は肘が下がる傾向にあって、肘が下がらない形を教わり、そして握りも変えて大きなカーブを投げられるようになりました。うちは個性的な投げ方をする投手が多いので、それに応じて指導をしてくれました」
また都立総合工科の弘松監督が金田氏から学んだことについて聞くと、
「高校生をその気にさせる。やる気にさせる声かけの仕方ですね。指導者としてモチベーションを高めるコミュニケーションの取り方を学びました」
練習試合をした両チームの集合写真
また金田氏は投手のトレーニングをするとき、「金田塾にいくぞ!」といって選手たちを厳しく鍛えていたようで、グラウンドにあるメニュー表には「金田塾」と記載されていたようだ。都立総合工科の指導者スタッフはこれからも金田氏の教えをしっかりと引き継ごうと考えている。
都立総合工科の投手たちがすらすらと金田氏から教わったことを話してくれたとき、身震いする思いだった。金田氏は都立総合工科の投手陣の成長には欠かせない名投手コーチだったと強く実感した。
そして11月24日、都立総合工科は都立足立新田との練習試合を「追悼試合」と銘打ち、セレモニーが行われ、金田留広氏の息子・金田昌巳さんが始球式を務め、2試合の熱戦が繰り広げられた。
今年の都立総合工科は打撃陣が充実。あとは投手陣の頑張りが躍進のカギとなる。教えてもらったことを実践し、春、夏で結果を残すことが、金田氏への最大の恩返しとなるはずだ。
文=河嶋 宗一