無駄を省く指導で「日本一の文武両道」を目指す 四日市(三重)
1955年夏に三重県勢で唯一の全国制覇を経験している四日市。第1回大会から出場している伝統校であり、卒業生には東大や京大の野球部でプレーする選手もいる県内屈指の進学校でもある。「日本一の文武両道」を目指している四日市はどのようにして勉強と野球の両立を行っているのだろうか。
無駄を省く指導で「日本一の文武両道」を目指す
四日市野球部
12年前に横山勝規監督が着任した当初からチームの目標を「日本一の文武両道」と掲げている四日市。高い目標を持ってそれを目指していることに意味を見出し、どうすれば勉強と野球の両立できるかを日々探求している。
四日市は昨年度に東大11人、京大14人の合格者を輩出している進学校だ。下校時間が午後7時と決められているため、長く練習時間を取ることができない。その中で横山監督は無駄を省く指導を徹底している。
例を挙げると、練習後の全体ミーティングは基本的に行わない。昼休みに選手を一つの教室に集めてミーティングを行い、重要事項を伝えている。またクールダウンも全体では行わず、自宅や下校中など各自で時間を作って体のケアに努めている。
また、学習面でも学習時間を確保するために工夫を怠らない。四日市では学年+1時間を自宅学習の目安にしている。夜はなかなか学習時間を取れないため、朝早くに登校して勉強に取り組む部員が多い。東京工業大学への進学を希望している主将の佐藤公泰(3年)も毎朝7時半から校内にある自習室を利用して勉強している。また、同校で練習試合を行うときには12時頃に試合を始め、午前中に学習時間を確保するなどしている。
朝に勉強を行うことについて横山監督は「後ろの時間が決まっている勉強は集中してやりやすいんですよ」と説明する。野球も勉強も時間を決めずにやろうとすると集中力が低下してしまいがちだ。終わりの時間を予め設定することで効率良く取り組めると横山監督は考えている。野球も勉強も時間の区切りを決め、メリハリをつけるのが四日市のやり方だ。
「日本一の文武両道」を掲げているだけあって夏の大会での目標はもちろん優勝。今年の三重県はセンバツ4強の三重や、好投手を擁する菰野などハイレベルな戦いが予想される。また初戦で対戦する松阪工も春季大会で地区大会を勝ち抜き、県大会では三重に5対9と善戦した強敵だ。横山監督は「一つ目から勝負です。松阪工は侮れない」と警戒している。
継投策で三重県大会を勝ち抜く!
練習中休憩を兼ねてのミーティング
激戦が予想される三重県大会を勝ち抜く策として投手陣は継投策が基本になると横山監督は考えている。投手陣の柱となるエース左腕の和田一輝(3年)はインコースを攻める投球が持ち味で緩い球を効果的に使うことができる投手。和田に続く投手として横山監督は川本翔大(3年)、小林勝太(3年)、坂井陸人(3年)、増田太一(3年)、吉尾剛大(2年)、濵野喜史(2年)、鷲田皓太郎(2年)と次々に名を挙げた。夏の大会では大胆な継投策が見られるかもしれない。
野手では昨年からレギュラーとして活躍している捕手の青木悠馬(3年)と遊撃手の岩田航輔(3年)が主軸として期待されている。青木は長打力と強肩が武器の4番打者。中学時代の先輩から「四日市は勉強も野球もしっかりやっている」という話を聞き、進学を決めた。志望校は東大で「東京六大学でやりたい」という目標を持っている。もし合格することができれば、将来的に東大の主軸を打つことも可能な素材だろう。
岩田は堅守と俊足を持ち味とする守備の要で打順は上位から下位までどこでもこなす。志望校は京大だが、その理由が「勉強もそうですが、京大だと周りの野球のレベルが高いからです」というのが興味深い。京大の所属している関西学生野球リーグはリーグ戦で近大や立命館大など名のある私立との対戦することになる。レベルの高い野球ができることが勉強のモチベーションになっているのだ。
そしてチームの精神的支柱になっているのが三塁手で主将の佐藤だ。「心の野球」をテーマに掲げる中で横山監督が「気遣い、思いやりの気持ちを非常に持っている子で心の支えになっています」と評価する。誰よりも早くグラウンドに出て準備をし、練習後には最後まで残ってグラウンド状態を確認してから帰るようにするなどチームの責任者としての役割を全うしている。
四日市のグラウンドは前身の三重二中時代に第1回大会の東海大会の会場として使われていた。つまり、彼らが日々の練習を行っているグラウンドは東海地区の高校野球の歴史をスタートさせた場所なのである。途中で出場が途切れているため、皆勤出場を続けているわけではないが、高校野球の歴史に欠かせない学校であるのは言うまでもない。
今年は100回大会ということもあり、例年より取材の量が多く、「100回大会を通じて歴史を再認識できました」と横山監督は語る。主将の佐藤も「甲子園に出られた時のOBの方が来られて当時の話を聞くと伝統校でやっているという自覚が出てきます」と伝統校でプレーすることの重みを感じている。
「簡単に行ける場所ではありませんが、甲子園に行きたいです」と意気込む佐藤。最後に四日市が甲子園に出場したのは1967年の夏で実に51年も甲子園から遠ざかっているが、100回大会という節目で伝統校の復活はあるだろうか。
(文=[writer馬場 遼[/writer])