近大附(大阪)【前編】「エース頼みのチーム脱却へ 自ら動いた選手たち」
今年は第100回大会を迎え、大阪府は南北に分かれて大会が行われる。前回の南大阪大会で出場を決めたのが東大阪市にある近大附である。当時、甲子園出場へと導いた藤本 博国監督が現在も指揮を執る。昨秋は大阪3位で近畿大会に出場。ベスト8まで勝ち進み、選抜まであと一歩だった。今年の藤本監督と選手たちはどんなチーム作りをしてきたのだろうか。
「エース・大石のチーム」からみんなで叱咤激励しあう戦闘集団に
近大附野球部
チーム作りでまず最初に考えること。それはどの選手を中心にするかだ。エース、4番、攻守の要、正捕手etc。それはチームによってさまざまだが、近大附の場合、1年夏から背番号「1」を背負う大石 晨慈だった。羽曳野ボーイズ時代はジャイアンツカップ優勝を経験し、経験豊富な大石にかかる期待は大きかった。
大石は勝てる投手になるべく、投球フォーム、投球術のリニューアルを行ってきたが、うまくいかず苦しい日々を送る。そんなエースの姿勢を厳しく叱咤激励したのが、強打の一塁手・髙倉 龍侑だった。高倉にその意図を聞こう。
「僕も大石と同じく1年生から試合に出させていただきました。その立場として厳しいことをいわなあかんと指摘しました」
高倉が指摘するとチームメイトがどんどん続く。主将の花田大晟は「今年のチームのスタートを振り返ると、どこか人に(モノを)言えない甘い雰囲気がありました。でも高倉が言ってくれたことはとてもありがたかったですし、僕だけではたぶん続かなかったと思う」と、いつしか選手同士で言い合えるチームとなっていた。大石も「今までは投げさせてもらっていて、上級生に甘えてしまう自分がいました。でもエースという立場で投げさせてもらっているので、チームメイトの意見はしっかりと受け止めないといけなかった」と、味方の叱咤激励を受け止めた。そして大石自身も副主将としてチームメイトに厳しく指摘している。
藤本監督はそんな選手たちの姿を見て、「このチームは面白いと思いましたね。大石もナインからの指摘を受け続けてきたことで、だんだん火がついてきて、ピッチングが良くなってきました」と、戦える手応えを実感した。
課題としていた打線も、真夏でも振り込み、打線を徹底強化。大会が始まると大差をつけて勝ち上がることも多かった。そしてこのチームにとってもターニングポイントとなったのが、昨秋4回戦の大体大浪商戦である。
大石が相手エース・立石健との投げ合いを制し、2対1で勝利。藤本監督は「立石君のような好投手と当たるとどうしても点が取れなくなってしまう。ロースコアで勝つことがこのチームにとって大事でしたが、非常に大きな勝利となりました」
勝ち続けた近大附は準決勝で宿敵・大阪桐蔭と対戦したのである。
[page_break大阪桐蔭に連敗 二度の敗戦で感じたこと]大阪桐蔭に連敗 二度の敗戦で感じたこと
ランメニューに備える選手たち
しかし府大会準決勝の大阪桐蔭にはコールド負け。3位決定戦の興国に勝利して、近畿大会に駒を進めた。初戦の奈良高田商戦では、高倉の本塁打が飛び出し競り勝ち、準々決勝で大阪桐蔭と再戦した。しかし1対10で7回コールド負けを喫し、2連敗。選抜出場も逃した。2試合を振り返って藤本監督は
「大阪桐蔭に勝たないと甲子園にいけないのは大阪のどの学校も共通で認識していることだと思います。選手はそれを理解して練習に取り組み、試合に臨みましたが、最初の対決では大石が打たれてしまい、近畿大会での対決は大石自体は良かったです。ただこの試合、1番の藤原恭大君にいきなり二塁打を打たれてしまい、何かチームが浮足立った感じがあったんですよね。こういう相手こそ自滅してはなりませんが、自滅してしまうような精神状態に陥った。大石はそれほど打たれておらず、アウトをとり切れずに自滅してしまった試合です」と課題を語った。
そして冬に入った。藤本監督は「近畿大会の大阪桐蔭戦では27個のアウトを取り切れなかった反省がある。なぜ取ることができなかったのか?あの試合は一球ごとに意味がある」と選手に伝え、その試合のスコアを張り出した。この冬は大阪桐蔭に勝てるチームになるために、練習に励んだ。各個人は投球、打撃、守備、走塁の底上げを行い、地味な体力トレーニングも、選手たちは高いモチベーションで取り組んだ。
「選手は(大阪)桐蔭と2回やらせてもらって、全国で野球をしていこうと思うんだったら、これぐらいの力が必要や、これぐらいの野球をしていかなあかんということを肌で感じたと思います。
冬の練習は地味な練習ばかりだと思いますが、指導者が言わなくても3年生たちが考えながら練習に取り組んでいました。偉いなと思ったのは、主力選手がレギュラーではない3年生をものすごく大事にしていて、気遅れなく『一緒にやるぞ、お前らも来いよ』という感じで、それに応えてそういう子らが逆にチームを引っ張ってくれたっていう相乗効果があったんで、すごいレベルアップができましたね」と藤本監督は充実の冬を振り返った。
さらにエースの大石が大阪府選抜として台湾へ渡り、大阪桐蔭の選手たちと交流し、学んだことをチームへ還元。相乗効果でチームは強くなった。そして、春の大会を迎えたのであった。
[page_break「大石はいないと思え!」 自立を促した投手作り]「大石はいないと思え!」 自立を促した投手作り
花岡 大晟主将(近大附)
上位進出を狙った大阪府大会。しかし初戦で箕面学園に1対3で敗れてしまう。この試合、大石は投げず、主将の花田が完投した。藤本監督の大会のテーマは、大石に続く投手作り。さらに自覚を持たせるつもりで春の大会は大石を投げさせないとナインに伝えていた。
「やっぱり大石がおって、“それに代わるピッチャー”って我々はよう言うじゃないですか。でもやってる選手からしたら、例えば大事な試合で自分が任された。でも調子悪かったり打たれたりゲームが危なくなってきたら、大石が後ろに控えてるというような感じを持つでしょ。そうすると結局“代わるピッチャー”じゃないじゃないですか」
選手には「最後には大石がいるんだ」と依存心を持たないよう心掛けた。
「だから『大石がいてない状態で投げるんやで』ということは、そうなってくるとピッチャーというのは全て自分が鍵を握ってるんやというふうになってくる。そうならないとほんまの意味での育成にならないと思うんです。
それはもうチーム全体に伝えていたんで。どんな状況になっても大石を使わへん、その状態でゲームを運んでいくと。秋はオール大石やったんで。過去の大会にしてもほとんど大石でいってるんで、でもこの春は違うよということで。選手らも大石が何かあったとき、大石に代わるピッチャーが必要ということを何度も伝えていました」
この競争で台頭したのが秋までセンターを務めた主将の花田だった。(続きを読む)
(文=河嶋宗一)