準硬式でも甲子園を目指せるチャンスはある 前例に無いことに挑み、実現した甲子園大会<田中裕毅の”準硬ドットコム”第12回>
甲子園大会での記念撮影
3月18日から幕を開けた第96回選抜高等学校野球大会。春の日本一を決める全国大会が繰り広げられるわけだが、その舞台はもちろん甲子園だ。
野球人であれば一度は夢を見て、憧れて目指す聖地。これまでいろいろな甲子園球児に話を聞く機会があったが、揃って言うのは「甲子園は特別な場所でした」という一言だ。やはり野球人にとっての夢の舞台になっている。
その舞台に立つチャンスはどの球児にも3年間で5回ある。だが本当に夢を叶えられるのはごくわずかなのが事実。しかもベンチに入る、試合に出るとなると、本当に選ばれたひと握りの選手だけ。大半は甲子園に立つことなく、高校野球を引退していく。厳しい現実だ。
その舞台に立てる可能性が、大学準硬式にも生まれつつあるのを知っているだろうか。
選手として、学生として成長するための甲子園
2023年11月14日、甲子園では大学準硬式の全国大会、全日本大学準硬式野球東西対抗日本一決定戦甲子園大会(以下、甲子園大会)。YouTubeでのライブ中継も実施されるなど、準硬式にとって初となる大会は盛大に行われた。
全ての始まりは2018年から。元日大三の主将で、現在は全日本大学準硬式野球連盟の理事である杉山智広氏の働きかけで、プロジェクトが始動。高校野球で目指した甲子園の舞台を大学準硬式で再び挑む。その過程、そして甲子園の経験を通じて人間力を磨いてもらい、社会に飛び出していく。野球人としての夢を叶えるのではなく、学生たちの将来も見据えて、連盟は甲子園での大会開催を目指した。
準硬式にとって、そして甲子園球場にとっても、前例のない取り組み。もちろん順風満帆に進んだわけではなかったが、2022年に開催することが決定。今までになかった新たな歴史が刻まれるはずだったが、試合日があいにくの雨天のため中止。1年後に再び挑戦し、なんとか甲子園で大会を開催した。
2024年も開催されるかわからないが、準硬式には甲子園を目指せる可能性を秘めているというのは事実である。準硬式でもう一度甲子園を目指せる可能性があるならば、野球人ならば挑まずにはいられない。
そうした前例に無いことでも挑戦できることも準硬式であり、それを大人たちの力だけではなく、学生の力を存分に活かしながら、というのも魅力の1つだ。
憧れの舞台への第一歩
ここで1つ甲子園大会を支えた1人の学生について触れたい。
甲子園大会をやるにあたって、連盟は学生たちが中心となるプロジェクトチームを発足。そこに特別な思いを持って取り組んでいたのが、今回紹介するプロジェクトリーダー・池田有矢氏だ。
甲子園大会の運営責任者として学生たちのトップに立って、無事に成功させた影のMVP。そんな彼女は、2022年のときもプロジェクトチームに在籍。目の前で甲子園の舞台が遠のき、悔しい思いをした1人でもある。
「去年できなかった分、今回は準硬式を盛り上げられるようなステップにしたいと思っていました。そのために春先から動かしてきました。
私自身、祖母の家でみたプロ野球の中継がきっかけで野球は好きになって、中学生の頃には甲子園を1日見るくらい夢中になっていたんですよ。だから高校からは野球部のマネージャーになりましたし、選手たちと一緒に甲子園を目指していました」
池田個人にとっても、甲子園には強い思い入れがあった。だが、高校時代はベンチメンバー20人ギリギリの規模で、グラウンドもサッカー部と共用。どこにでもある普通の公立高校だった。
「甲子園はスローガンでしたけど、実感はなかったです。練習試合もほとんど地元の公立校ばかりで、甲子園に近い強豪私学と試合をやる機会なんてなかった。地元だと中京大中京や東邦なんかもいましたので、そこと比較すると甲子園は遠い存在。目指していたものの、夢のまた夢のような場所でしたね」
だから、2022年にプロジェクトチームに選出された際は、「本当に私で良いんですか」と驚きとともに、喜びが大きかった。
「甲子園を経験した人に聞くと、やっぱり一生懸命やった人たちが入れる場所だと思っていたので、運営側の立場で、かつ甲子園と無縁だった私が甲子園に行けるのはありがたかったです」
挑戦、熱量、準硬愛さえあれば
初開催となった2022年とは違い、2回目だった2023年は「開催までの流れ、スケジュールといった土台の部分は決まっていたのでイメージはしやすかった」とスムーズに準備は進み、打ち合わせも以前とやり方を工夫したことで、月1回ほどペースで打ち合わせを重ねながら準備を進めたという。
宿舎、球場、記念シャツの手配。タイムスケジュールの調整、各選手たちへの連絡など、裏方の仕事を、池田氏が中心になって準備を進めた。
ただ、なかには2023年大会から新たに取り組むこともあった。
「平日開催になったというのが1つポイントになりましたし、今回は1日甲子園を使わせてもらえることになったのは、前回と大きく違います。
早い時期に平日1日を使えることは決まっていたんで、中学準硬式と前回選ばれた選手たちの試合の2つの案が出たんですよ。
中学生にとっては去年のリベンジですし、甲子園は思い出に残ること。今回は準硬式を伝えていくことが目的だったことを考えても大事だったので、候補に出てきました。
前回のメンバーについては、なかには社会人になった人もいましたが、話を聞くと『え、できるの?だったらすぐに有休とるよ。日にちを教えて』と凄く喜んでくれたんです。だから、前回のメンバーによる試合も候補にあげていたんです」
結果的には、平日開催だったため、中学生は難しかったが、前回メンバーは集まれる選手たちによるエキシビションを実施。中学生に対しては、地域交流と題した野球教室を初日に開催。また試合前のシートノックは一緒に受けるようにするなど、準硬式の魅力を伝えるようにプログラムを編成した。
一方で上手く物事が進まず、「今年は去年と違うんだね」とちょっとした指摘をうけることもあったという。経験があるとはいえ、歴史的な1日を実現させるには簡単ではない。
ましては自チームの活動、学生生活、アルバイトなどやるべきこと、やりたいことは他にもたくさんある。そんな多忙な生活をやり切れたのは、準硬式への思いがあるからだ。
「やりたくて準硬式のマネージャーになりましたけど、最初はマネージャーの仕事をやって、リーグ戦で仲間が活躍する姿が嬉しかったり、楽しかったりというところにやりがいがありました。
けど、立候補で関東地区の学生委員を務めてから変わりました。最初は仕事内容も漠然としていましたけど、様々なプロジェクトを自分たちでやることで、次第に色んな人と協力してやれたり、自分たちで情報発信したりすることに楽しさや魅力を感じたんです。だから今回、初めて大所帯のリーダーになって、周りと連携を取り合って進捗を把握するように意識しましたけど、とにかく全員で一生懸命やりました」
そう答えた池田氏の表情は、底なしに明るい表情だった。充実している様子は十分に伝わってきた。
確実とまでは言えないが、甲子園を目指せる可能性は準硬式にもある。前例に無いことに挑める土壌、そして学生たちの力で進めていく熱量、そして準硬式への愛。この3つがあれば、また近い将来、甲子園で準硬式をやれる日が来るかもしれない。
その未来を叶えるのは、現役選手だけではなく、これから入部する選手たちだ。まもなく新年度、今度はどんな選手たちが準硬式を盛り上げてくれるのか。
取材・文/田中 裕毅(準硬式野球評論家)
小学3年生から中学生までは軟式野球。高校での3年間は硬式野球をプレー。最後の夏は控え捕手でベンチ入りを果たす。
大学から準硬式野球で3年間プレー。大学2年、3年生のとき、チームは清瀬杯大会に出場し、自身はベンチ入り。さらに3年生の1年はチームの主務として、選手登録やリーグ戦運営に携わる。特に春季リーグはリーグ委員長として、試合日程の調整をはじめとした責任者を任される。