大きく、高校野球の歴史と意識を変えた駒大苫小牧の連覇(北海道)
北海道の高校野球は駒大苫小牧の2004年夏の全国制覇以降大きく変わった。それはまさに、革命が起きたといっても過言ではないくらいの出来事だった。
2004年に革命を起こした駒大苫小牧
駒大苫小牧時代の田中 将大
その年の駒大苫小牧は大会前の下馬評としても、従来の北海道勢に比べてパワーは抜群で、その打撃力は高い評価は受けていた。それは、3回戦で日大三に打ち勝って、いよいよその力は本物だといわれはじめた。
勢いづいた駒大苫小牧は準々決勝では、大会屈指の右腕涌井 秀章(西武-ロッテ)を擁する横浜を堂々と打って倒した。この時点で北海道勢としては1928年の第14回大会に北海中が進出して以来、76年ぶりのベスト4進出となった。準決勝で東海大甲府に打ち勝ち、決勝戦でも春夏連覇を狙う済美と両校合わせて39安打という大打撃戦は逆転に次ぐ逆転というスリリングな内容になったが、最終的に駒大苫小牧が13対10と打ち勝って、初の全国制覇に輝いたのである。
優勝旗の最北到達地点が、それまでの宇都宮市(作新学院)から東北地方を飛び越えて、一気に津軽海峡まで越えて駒大苫小牧まで伸ばしてしまったのだ。しかも、5試合すべてで2桁安打を記録した。猛打線は脅威だった。
チームを優勝に導いた香田 誉士史監督は九州の佐賀商出身で、95年に駒大関係者の推挙によって監督に就任した。道内出身者ではないことで、却って北海道という土地の持つ特別性を冷静に受け止め、そこで何をするべきかをより早く理解したことも大きかった。室内練習場などの設備の充実を積極的に働きかけるなどの努力で、早く成果を挙げていった。雪や寒さでグラウンドが使用不可能な長い冬のシーズンにも、室内練習場でボールを使用した練習が可能となり、徹底した打ち込みとウエートトレーニングでパワーをつけていった。
勢いづいた駒大苫小牧は、翌年も春は初戦突破したものの、2回戦で神戸国際大附に敗れたが、夏は再び快進撃を見せた。初戦で聖心ウルスラに快勝すると日本航空からは13点奪い大勝、鳴門には1対6から7回に5安打を集中させて7対6と逆転勝ち。そして準決勝の大阪桐蔭には延長10回で競り勝って、決勝でも京都外大西に5対3で勝って、48年の小倉以来の連覇を果たした。
翌春は出場を決めていたものの不祥事で辞退したが、夏は3連覇を目指して出場を果たす。エース田中 将大(楽天-MLB<関連記事>)は大会前から注目を浴びる存在となっていた。2回戦は田中が14三振を奪い南陽工を下すと3回戦では青森山田に1対7と序盤で大きくリードされながらも、その後は壮絶な打ち合いを演じて10対9と逆転勝ち。さらに東洋大姫路、智弁和歌山と全国制覇の実績がある相手を撃破して決勝進出。決勝では斎藤 佑樹(早稲田大-日本ハム)を擁する早稲田実と球史に残る熱戦を展開。延長15回引き分け再試合後、翌日の試合で3対4と惜敗して3連覇は逃したものの、この3年間で強い北海道の駒大苫小牧を強烈に印象付けた。
活発な南北海道とそれに負けず様々な学校が活躍を魅せる北北海道
一塁側スタンド後方には大倉山シャンツェが見える
さらに北海道勢の躍進としては、東海大四が15年春に、初戦で豊橋工に苦しみながらも勝利すると、松山東、健大高崎にいずれも一点差で勝利し、準決勝では浦和学院を下して決勝進出。敦賀気比に敗れたものの、道産子球児健在ぶりを示した。東海大四は80年代には道内で勢力を示していたが一時低迷。その後復活を果たして、14年夏からの連続出場でたどり着いた決勝進出の実績だった。
しかし、これらの学校が台頭する以前までは、北海道の高校野球というとイコール北海と言われる時代が長い間続いていた。一時的に低迷期もあったが、11年春にはベスト8に進出するなど復活を示している。春夏合わせて48回の甲子園出場で、29勝48敗という数字は北海道勢の旗頭としての歴史の証明でもある。その中には、道勢初の決勝進出を果たした63年春の4勝も含まれている。
また、70年代から80年代にかけては北海と雌雄を決していたライバルの札幌商は、北海学園札幌と校名変更したが、80年夏を最後に甲子園出場はない。一時期勢力を示していた函館大有斗も97年夏を最後に甲子園からは遠ざかっている。
駒大苫小牧が台頭してきた頃に、そのライバル的存在となっていた北照は、10年春と13年春にベスト8に進出している。小樽市にある北照はスキーの名門校として知られていたが、北海道内だけとはいわず、関西など本州からも、甲子園を狙いたいという気持ちの強い選手を広く受け入れて強化してきた。また、駒大苫小牧の姉妹校である駒大岩見沢も、ヒグマ打線とも称して恐れられた時代もあった。しかし、少子化の波で閉校の流れとなったのはいささか寂しい。
他には16年春にも出場を果たした札幌第一や、札幌日大、北海道日大から埼玉県の花咲徳栄や埼玉栄の佐藤栄学園の系列校となった北海道栄や札幌大谷、立命館慶祥なども上位を狙っている。公立勢では、21世紀枠代表で出場して実績を作ってその後も甲子園出場を果たした鵡川や札幌南、苫小牧東、小樽潮陵などの旧制中学の流れを汲む名門校に札幌清田などが食い下がっている。
活発な動きのある南北海道に対して、北北海道の話題がいささか乏しいのは否めない。そんな中で勢力図式としては旭川龍谷、旭川大高(旧北日本学院)が両雄として存在し、95年夏に初出場でベスト8に進出し、4年後の夏も甲子園で2勝した旭川実は、03年春には当時は存在していた希望枠(秋季大会の守備率の最優秀校に与えられる)で選抜出場を果たしている。また、甲子園での勝数としては、北北海道勢で一番である。07年春には旭川南が初選抜出場。[stadium]スタルヒン球場[/stadium]のある旭川勢が安定した力を示している。12年夏に出場した旭川工や04年夏に出場した旭川北も健闘している。
これら旭川勢以外では、十勝勢の帯広や帯広南商と、体育コースを設置してスケートアスリートの育成などで知られている白樺学園あたりが安定している。白樺学園は帯広からほど近い芽室町に学校があるが、06年以降で3度甲子園出場を果たしている。14年夏には日本最東端の根室市にある武修館、13年夏には杉浦 稔大(國學院大-ヤクルト)を輩出している帯広大谷がいずれも初出場を果たしている。
21世紀枠代表校としては12年に女満別、13年には遠軽と、旭川と網走をつなぐ石北本線沿線の各校が選出されている。
しかし、いずれも少し対外試合で経験を積もうと思っても、同地区以外の学校と対戦するとなると、北海道内でも3~4時間をかけて移動しなくてはならないという地理的ハンデは否めない。これだけは、いかに施設を充実させたとしても、どうしようもない物理的な問題である。その克服も、今後の中では北北海道勢としては大きなテーマでもあるようだ。
(文:手束 仁)