北条vs川之江
北条、コンバート組が名将の「理詰め」を体現し27年ぶりベスト4!
力投する先発・岡田祐介(北条)
「よっしゃぁ!」校歌斉唱、スタンドへの挨拶後に選手たちから叫び声があがる。その先頭にいたのは1996年夏・松山商業を全国制覇に導いた澤田勝彦監督。
相手は昨夏愛媛大会準決勝では済美・安樂智大(3年)を崖っぷちに追い込み、現チームも当時のスタメン・昇侑希中堅手(3年・右投左打・173センチ65キロ)や、最速134キロ左腕・橋本幸樹(3年・左投左打・175センチ65キロ)をはじめ、ポテンシャル高き選手がそろう川之江。
そんな強豪に対し、愛媛北条が5回裏に内野ゴロと相手暴投で逆転、8回裏二死二塁から8番・松田駿也右翼手(3年)がダメ押し打という理想的な戦い方でうっちゃった。
その原動力となったのは2人のコンバート選手。1人目は澤田監督が「彼が崩れていたら、序盤で試合は決まっていた。コーナーへ丁寧に投げてくれた」と褒め称えた142球9安打7四死球2失点完投、2回裏には同点打も 放った右腕・岡田祐介(3年・右投右打・170センチ65キロ)である。
岡田は三津浜中3年時には神野靖大、越智樹、田頭寛至、杉野孝太(以上今治西)、吉住健人(明徳義塾)のセンバツ出場組や、高校通算30本塁打を超える越智達矢(丹原)らと共に「Kボール愛媛県選抜」に名を連ねるも当時の登録は二塁手。愛媛北条入学後も昨年春から投手の練習は進めていたが、昨秋までは主に外野手としてプレーしていた。
しかし、この試合では先発で何もできなかった昨秋中予地区予選・松山聖陵戦とは見違えるような出来。キャッチボールを思わせるような脱力系フォームから131キロ前後のストレートとスライダーが終始低めへ。川之江は初回一死三塁から3番・石村豪基右翼手(3年・右投右打・167センチ68キロ)が先制適時打。3回表にも二死一・二塁から昇が適時打を放ち勝ち越すも、以後は「うまく変化球を使って打たされた」(友近拓也監督)岡田の術中にはまっていった。
4番・島田佳人捕手(北条)
その岡田の女房役。
スカウティング力に優れる川之江に対し「きっとデータを取っていると思っていたので、今回はこれまでと全く逆の内角中心でリードした」4番・島田佳人捕手(3年・右投左打・167センチ85キロ)も昨年11月、一塁手・外野手から転向したコンバート組。ただ、彼の場合、捕手は松山ボーイズクラブ時代(現:松山ボーイズ)時代に務め上げ、愛媛北条でも「ずっとやりたいと思っていた」位置。彼の活躍は、コンバートのタイミングを秘かに計っていた澤田監督の眼力に支えられている。
この2人と1年夏からレギュラーを張り、川之江戦でも4打数3安打の1番・平田息吹中堅手(2年・右投左打・170センチ69キロ・愛媛松山ボーイズ出身)の3名を得点源として、職人たちを前後につなぐ。「色々考えてこのオーダーに決めた」指揮官の理詰めに反応した選手たちのパフォーマンスは見事だった。
ちなみに愛媛北条の春季大会ベスト4は柳野博志監督(現:新居浜工業監督)の下で大躍進を果たした1987(昭和62)年以来2度目。当時は準決勝で延長10回、宇和の大谷孝昭捕手(当時3年)にサヨナラ満塁本塁打を浴び、惜しくも決勝進出を逃した。
帝京第五にもこの「理詰めの野球」続けられれば、1964年(昭和39)年の創部以来初となる「県大会決勝戦進出」も決して夢物語ではない。
(文=寺下友徳)