高知vs関西
高知、「キャラ変え」で中四国秋季王者対決を制す!
「キャラを変えたいんです」。
島田達二監督がこうつぶやいたのは3月9日・愛媛三島(愛媛)との練習試合初戦後。それは2004年2月の高知高校監督就任以来、これまで春3度・夏4度甲子園に出場しながら1勝7敗と「全国で力を出し切れない」レッテルが付きまといつつあるチームカラーを打破せんとする心の叫びに感じた。
実際、そのための努力は昨秋の明治神宮大会後から怠りなかった。これまでのスイング量に加え、「高さを合せる」スイングの探求。自重を使ったウェイト導入による「しなやかかつ強い」筋肉の創生。そして何よりも生活面における甘さの撲滅。しかもその多くは指揮官主導でなく、選手主導によるもの。よって高知にとってこの選抜大会ではその「キャラ変え」が正しいことを証明する格好の舞台となったのである。
そして彼らは秋季中国大会優勝、明治神宮大会準優勝の関西相手に見事な闘いを示した。先発の酒井祐弥(2年)は5四球を与えたが、「インコースストレートで追い込んでからフォークを決め球にする」前田隆靖(3年)の好リードにより要所では「逢澤崚介(2年)・小郷裕哉(2年)の1・2番と下位からのつながりに期待したい」江浦滋泰監督の目論見を断ち、5回無失点。「これ以上酒井に責任を負わせるのは可哀想なので、6回以降は3年生に任せよう」と指揮官の付託を得て送り出された坂本優太(3年)は9回裏無死から森川誠也(3年)大会史上3人目となる代打アーチこそ浴びたものの、最速139キロをマークするなど昨秋の不振を払拭する好リリーフ。心をつなげる作業に徹した島田監督の采配もズバリ的中した。
それ以上に光ったのは6回まで相手左腕・児山祐斗(3年)にわずか2安打に封じられながら、7・8回に5点を奪った打線の「崩し方」である。7回の先制点は二死一塁から市川豪(3年)が二盗のサインに「大会が開幕してからずっと宿舎で関西のビデオを見続けて、けん制はないと思った」スタートで応え、「2ストライク後のアウトコースストレートを狙っていた」上田隼也(2年)が読みどおりにセンター前に落として奪ったもの。
8回は圧巻だった。一死一塁から坂本優が「これまでずっと練習でやってきた」ワンバウンド投球に呼応して二塁を陥れ、さらに1番・土居弘洋(2年)のライトフライで三塁へと進み、昨秋から公式戦10試合連続打点となる3番・和田恋(3年)のタイムリー。さらに「ビデオを見て相手投手が初球に何から入るか考えた中で、外の真っ直ぐを狙っていた」5番・股川涼有(3年)の2点タイムリーなどで計4点。この全てがこれまで高知が着々と準備をしてきたものであった。
「やりたいことができました」。西村雅仁副部長の破顔一笑も当然である。
かくして選抜大会では2001年(平成13年)第73回大会・岡山学芸館に7対1と勝利して以来、12年ぶりの1勝をマークした高知。とはいえ、チームに奢りは全くみられない。
「今日は出来すぎ。相手が強かったので思い切ってできた。次もしっかり準備して思い切って試合をしたい」。島田監督は報徳学園(兵庫)対常葉菊川(静岡)の勝者が相手となる3回戦へ向け、改めて「準備」の必要性を強調した。
奇しくも試合開始直前、酒井・坂本優・和田恋・上田・土居など多数が所属した高知中学校野球部は第4回全日本少年春季軟式野球大会を初制覇し、1964年(昭和39年)の第46回大会夏、1975年(昭和50年)の第47回大会春を制した高校野球部を超える3度目の全国制覇を達成。これも基本の徹底や準備の徹底ができたからこそなし得た快挙である。
ならば、彼らができないことなどない。「キャラ変え」で勝ち得た1勝を継続すること。その先には、1975年以来の春2勝目、すなわち3度目の全国優勝へ続く道がある。
(文=寺下友徳)