鳴門vs高松商
鳴門第一中時代から後藤田崇作とバッテリーを組む丸宮太雅(鳴門2年)
「中学時代の雪辱」秘めたバッテリーの活躍で、鳴門決勝戦進出!
香川県大会では3度に渡る9回逆転勝ちを経て3年ぶり25度目の優勝を果たした余勢を買い、四国大会2回戦でもドラフト注目右腕・美間優槻(2年)擁する鳴門工業(徳島県3位)に対し、エース谷川宗(2年)の快投で1対0完封勝ち。
22年ぶり13度目の秋季四国大会決勝戦進出、そして16年ぶり26度目のセンバツ出場を視野に入れる高松商業か。
それとも徳島県大会では5試合中4試合で二桁安打、チーム打率4割4厘の猛打を武器に18年ぶり11度目の優勝を果たし、四国大会初戦でも今治西(愛媛県2位)に対し18安打を浴びせ16対2(5回コールド)。
42年ぶり4度目の秋季四国大会決勝戦進出と、32年ぶり7度目のセンバツ出場を目指す鳴門か。
このような古豪復活を賭けた両校がぶつかり合った準決勝第2試合で、鳴門の後藤田崇作、丸宮太雅の2年生バッテリーは「ある想い」を抱いて高松商業に挑もうとしていた。
「この試合で中学時代、谷川にやられた借りを返そう」。
時計の針は2009年5月24日・高知市東部運動公園野球場へとさかのぼる。当時・三木町立三木中のエースだった谷川宗。そして、その谷川率いる三木中が全日本少年軟式野球大会出場を賭け、四国大会準決勝で対戦したのが後藤田と丸宮がバッテリーを組む鳴門市第一中であった。
中学軟式球児の甲子園・横浜スタジアムを目指し意気込んで鳴門第一中の2人。が、結果は谷川の前に完膚なきまでに抑えられての0対4に終わる。その後、三木中が四国大会優勝を果たし横浜行きの切符を手にし、全国大会でもベスト8へ進出したこともあいまって、2人の悔しさはさらに増すこととなったのである。
高松商業先発・谷川宗(2年)
それから2年半の月日が過ぎ、奇しくも再び全国を賭けた舞台で対戦することになった両者。その意気込みが結果に現れたのは5回表のことだった。
「グラウンド整備前の区切りなので、全力を出し切ろうと言い合って」(杉本京太主将)攻撃に臨んだ鳴門は1死後、9番・中野勇輝(1年)の捕手前バントヒットを皮切りに2死球を挟み怒涛の5安打を「コースコースを丁寧に狙っていこうと思ったが、体が開いて抜け球が多かった」谷川に浴びせることに。1死満塁から3番・稲岡賢太(1年)の2点適時打、4番・杉本の右中間2点三塁打で4点。さらに高松商業・黒坂季央監督も試合後、「あの2点が痛かった」と語った7番・丸宮の適時打に失策が絡んでの2点で、彼らは強引に試合の主導権を奪ってしまう。
これに後藤田の好投が拍車をかける。球速こそないものの、ストレート、カーブ、スライダーなど全ての球種が「構えた所に投げていた」(丸宮)。さらに「ここぞというところで使った」フォークも有効に機能し5奪三振。6回に3番の篠原仁一朗(三木中出身)に一塁線を破られ1点を失った他は全く危なげないピッチングを披露し107球で試合を締めた。
「力を出し切れないのではなく、出し切れない力しかなかった」とは打線について振り返った高松商業・黒坂監督。が、自ら「今日が高校生活で一番のピッチングだった」と語ったこの日の後藤田では、この結果も致し方ないといえるだろう。
かくして、中学時代のリベンジを果たした2人ばかりでなく「みんなで勝ち取った勝利」(杉本)で、センバツへの扉を大きく開けた鳴門。その勢いは鳴門海峡名物の渦潮のように、四国の高校野球界を席捲しようとしている。
(文=寺下友徳)