県立総合技術高等学校(広島)
広島県立総合技術高等学校2011年01月03日
旧県立本郷工業高校跡地。近年、工業や商業系の実業系高校は人気がなく閉校となり、2005年、情報技術科などの工業系のほかに、現代ビジネス科という商業系、人間福祉科、食デザイン科の家庭系を加えた専門家高等学校として総合技術高校が開校。校舎も本郷工業時代のものをリニューアルして使用している。
野球部は開校と同時に誕生し、初代監督として声が掛かったのが、小田浩監督だ。広島商時代はセカンドとして甲子園準優勝を経験。順天堂大では主将。卒業後、最初に赴任した西条農では、91年夏、93年夏と二度甲子園に導き、その後も、無名の海田高校を県大会ベスト4まで導くなどその手腕が高く評価されている。
そんな実績のある監督を招聘し、さらに、選手も集めたのか……?といえば、そういうわけではまったくない。
小田監督はそのときのことをこう振り返る。
「呼ばれたというか、県の人事異動ですね。そのとき、海田高校が秋にベスト4までいって夏に一つ狙ってやろう…と思っているときに急に『新しい学校に…』と言われまして……。『その学校に野球部あるんですか?』と聞いたら『わからん。あなたが行くということは野球部は作るんじゃろ』って(笑)」
海田でもう少しやりたかったな…あいつらと最後の夏まで戦いたかったな…後ろ髪を引かれる思いで総合技術高校にやってきたのが開校直前の3月20日。
「校長先生に『野球部作るんですか?』と聞いたら『お願いします』と。『援助してもらえるんですか?』には『そういうのは一切ない』と。『部員はいるんですか?』に、『そんなのはわからん』と言われました。そりゃそうですよね、新しい学校で野球部ができるのかどうか分からない学校に、野球がやりたい子がどのぐらいいるかなんて、分からないですよね」と笑う小田監督。
4月早々、体育館でのクラブ紹介時に、「野球部に入りたい人は放課後、体育教官室前まで来なさい」と呼び掛けたのがスタート。10人程集まってきたが、彼らの質問に小田監督はびっくりしたという。
「『練習はユニホームでやるんですか?』とか『日曜日は練習あるんですか?』『坊主にしないといけないですか?』って聞いてくるんです。おいおいってね。それでも『やります!』という子たちと校庭に生い茂った雑草を抜くところから始めました」
だが、そんな質問をしていた選手たちが、翌年入学してきた下級生とともに、3年夏、広島県大会の決勝まで進み、あの甲子園で準優勝した広陵と延長11回の激闘を演じたのだから、そっちの方がびっくりだ。「練習はユニホームでやるんですか?」と質問していた選手たちを、どうやって強化していったのか、それを少ない文字で説明するのは難しいが、簡単にいえば、一つに彼らに目標を持たせたこと、二つ目に、実に合理的な練習をしているということ。
一つ目は、目標がなければ到達はしないから。二つ目は、私立強豪と比べ、選手数も少なく、その選手たちの体も小さいなら力もない。それでも強豪と戦い合うには、磨けば輝く部分を徹底的に磨くしかないから。逆に、練習しても試合で成功する可能性の小さいプレー、試合であまり起こらないプレーなどに時間を費やさない。〝費用対効果〟を重視している点も小田監督ならでは。選手個々の能力や性格を細かく把握し、それを試合でうまく生かしていくのも小田監督はとてもうまい。よく「今年は選手がいないから勝てない」と言う監督がいるが、小田監督は〝入ってきた選手を育てて、うまく使って勝っていく〟監督なのだ。そんな監督が率いる総合技術高校は、創部3年目の夏に広島県大会準優勝。その秋には県大会優勝。そして4年目の夏にはまた決勝まで駒を進めたのだ。
「本当にここまで来れたのは、たまたまなんです。ほとんど投げたことがない1年生左腕の伊田有希がだんだんと調子を上げていって。あとは打てるわけでもないですし…見てもらえれば分かるとおり、小さい子ばっかり。スタメン9人中6人が160センチ台。一番大きな子で173センチです。体格でいえば、このあたりのシニアやボーイズのチームより小さいんじゃないですか。ベンチからみていると、内野がいなくて外野手が7~8人いるみたいですよ、遠近法でね(笑)」
だが、体は小さくても走れる選手が多い。スタメンには50メートルを6秒台前半、ベース1周も14秒台で走る選手がズラリと並ぶ。
「これも、たまたま足の速い子が揃ったんです。もともと速い子もいれば、練習で速くなっていった子もいますが。でも1、2番タイプばかりで、1番2番1番2番1番……ってコピー商品みたいな同じような子が並んでいるでしょう(笑) 強豪高にいったら、この中の二人は使ってもらえても、あとは『そんなに1、2番がいてもしょうがない』って使ってもらえないんじゃないかな(笑)」
そんな〝1、2番打線〟でも、しぶとく塁に出て、仕掛けて、走って、そして点をとる、その繰り返しで得点を重ねた。点が取れないときは、ピッチャーの伊田とキャプテンでキャッチャーの重谷塁のバッテリー、そして内外野が一体となって守り抜いた。県大会3位決定戦の広陵戦も打たれて走者は出すのだが、最後は伊田の、また、周りで支えるナインの気迫が勝った。そして平均身長10センチ近くも大きい強敵にサヨナラ勝ちしたのだった。
あまり自分のチームを褒めることのない小田監督がこういう。
「今年の選手たちはとてもいい子たちなんです。まじめで練習への取り組みもいいんです。
キャプテンの重谷中心となって、自分たちでちゃんとやっていける。1年生の伊田も、僕がどうのではなくキャッチャーの重谷が育てていったようなもんです。広陵と二度目の夏の決勝を戦った年の代は、個々の力もあり、性格でも個性的な面白さがありましたが、今年の代はあの代とはまた違った良さというか、まとまりがある代なんです」
訪ねたその日は、早朝から雪がちらついていた。とても寒い朝だったが、選手たちは練習開始1時間近く前に集まってきて、部室の前で楽しそうにサッカーをして遊んでいた。今、中・四国の代表として名前が呼ばれるかどうかの位置におり、また21世紀枠の9校にも入っている。見ている方は、「こんなちびっ子チームでも、甲子園にいけるかもしれないんだ」「甲子園に出たら、どんなゲームをみせてくれるんだろう」と先走ってワクワクドキドキしてしまうが、彼らには「選ばれたら……」という浮ついた様子はみえない。こちらに挨拶をする彼らには、決して硬くない、柔らかい笑みが見えた。チームにピリピリした雰囲気もなく、意気込んでやっているという感じもなし。
「もし選んでもらえたら、そのこと(甲子園)については、そのとき考えよう。もしダメでも、変わらず夏に向かってやるべきことを取り組んでいくだけ。今は、いつも通り、自分たちにできることを、自分たちのペースで取り組んでいこう」 そんな雰囲気なのだ。
1月28日、彼らは、きっと同じような雰囲気で運命の瞬間を迎えることだろう。
(文=瀬川 ふみ子)