智辯和歌山・徳丸天晴の弟・快晴 両投げで中学通算30発の超ユーティリティースラッガー
智辯和歌山の4番打者として、甲子園優勝に大きく貢献した徳丸天晴選手。実は弟も中学野球屈指の強打者だった。
名前は快晴(かいせい)。179センチ・79キロの体格から中学通算30本塁打を記録し、最上級生となった今年は春夏連続で全国大会に出場。兄にも負けない強打で、主砲としてチームを牽引した。
だがそんな徳丸快晴選手の見どころは他にもある。
世にも珍しい両投げのスラッガー
世にも珍しい両投げの徳丸快晴選手
3歳年上の兄と一緒に、5歳頃から野球に慣れ親しんだ徳丸快晴選手。小学校3年生まではソフトボールチームに所属し、その後大阪柴島ボーイズ小学部に入団。当時から頭一つ抜けた打撃力を持っていたといい、中学校1年時にはカル・リプケン12歳以下世界少年野球大会日本代表に選出される。世界トップレベルの野球を経験した。
「チームメイトも敵もみんなレベルが高く、ハイレベルな大会でした。でもその舞台を経験したことで、それからは緊張しなくなったと感じます」
世界少年野球大会から戻った後も、右肩上がりに成長を続け、大阪柴島ボーイズの主砲として活躍。現時点で中学通算30本塁打を放っており、試合では御坊市民球場のスコアボード横を越えていく、推定140メートルの場外本塁打を放ったことも。飛距離と対応力を兼ね備えた打撃が一番の魅力だ。
「重心を下にどっしり構えるようにしてから、下半身が使えるようになり打球の飛距離が伸びたように感じます。バットはあまり下から出すぎないようにして、グリップから出すイメージを持っています」
中学野球屈指の打撃力を持つ一方で、普通の選手にはない特異な能力を持つ点も見逃せない。
内野の守備につく際は右投げの徳丸選手だが、マウンドに登ると何と左投げ。実は徳丸選手、世にも珍しい両投げの選手で、守るポジションによって利き手を変えているのだ。
主に強い球を投げることができるのは左で、投手の他にも外野を守る際も左利き。かといって右投げで球の威力が極端に落ちることもなく、違和感なく器用に内野の守備もこなす。
一体、どんな経緯で両投げとなったのか。
本人に尋ねるが、「実はあまり覚えてなくて。小学校の時に右肘を怪我して、そこから左を練習したのは覚えているんですが」と記憶が曖昧な様子。
すると、練習にきていた両親が経緯を明かしてくれた。
[page_break:小学校5年時に怪我をきっかけに両投げとなる]小学校5年時に怪我をきっかけに両投げとなる
大阪柴島ボーイズの徳丸快晴選手
両親によると、実は野球をはじめた頃から両投げで遊んでいたが、父・博之さんが野球をやるなら内野手ができる右投げが良いだろうと考え、右投げとしてプレーすることになった。だが捕手をしていた小学校5年時に右肘を剥離骨折し、半年間ノースローと診断される。
まともに練習ができない状態となったが、その時に快晴選手は左でも投げられることを思い出す。左投げの練習を積み、短期間で外野手としてプレーできるまでに成長すると、右肘完治後は両手投げとしてプレー。以降は投手、外野では左投げ、内野と捕手の時は右投げでプレーをするようになったという訳だ。
大阪柴島ボーイズでは、主に投手と一塁手を任されており、投手としては昨年12月に行われたタイガースカップで129キロを記録。以降は計測の機会はなかったが、快晴選手は「135キロ近くは出ると思います」と自信を見せる。
また現在でもセカンドや捕手、外野など様々なポジションを器用にこなし、チームメイトの好不調に応じて様々なポジションをカバーするユーティリティ性でも貢献した。
「左では、カーブやスライダー、チェンジアップ、カットボールを投げることが出来ますが、右でもカーブくらいは投げることが出来ます」
ちなみに大阪柴島ボーイズの井上宏監督は、「右でも左でも投手ができるので、右肩と左肩で2倍の球数が投げれるかもと思いましたが、連盟の球数制限の規定としては一人としてカウントされました」と苦笑いを浮かべる。
来年からは高校野球の舞台に飛び込むが、「兄と自分では持ち味は違うので」と冷静に自身を分析。それでも兄が経験した「甲子園優勝」には強いこだわりを口にする。
「高いレベルの中で、今まで通りにいかないこともあると思いますが、自分の長所を活かして活躍し、甲子園優勝を目指したいと思います」
兄と同じ全国制覇へ。徳丸快晴選手がどんな活躍を見せるのか注目だ。
◆徳丸 快晴(とくまる かいせい)
2006年5月3日生・両投左打
3歳上の兄と共に5歳から野球をはじめる。小学校1年生で成育連合子供会ソフトボールに入団し、4年生からは大阪柴島ボーイズ小学部に所属。6年生時だけで柵越えの本塁打を15本以上放っており、中学校でもそのまま大阪柴島ボーイズ中学部へ上がる。ここまで中学通算30本塁打を放っており、野茂英雄氏が主催するNOMO CUPでは最優秀選手を獲得。関西鶴岡選抜にも選ばれた。
(記事:栗崎 祐太朗)