華々しく引退を決めた選手はごくわずか。20代で引退した甲子園球児たち
2021年は松坂大輔投手、斎藤佑樹投手と平成の高校野球を盛り上げた2大投手が引退。さらには公立校最後の甲子園優勝となった清峰高校(2009年センバツ)のエースとして活躍し、広島の中継ぎとして3連覇に貢献した今村猛投手、土浦湖北時代に甲子園を経験し、横浜DeNAでは中継ぎ、そしてJFE東日本では19年に都市対抗優勝に大きく貢献した須田幸太投手も引退と、ある意味野球界にとって節目の1年となった。
ただ4人のように30歳を超えて華々しく引退した選手というのはごくわずか。プロは戦力外通告があり、結果を残せなければ20代前半で退団。社会人野球も結果を残せなければ、20代前半で社業専念。というケースが多くなっている。また、プロ入りができなければ20代前半で引退決断というケースも多くなっている。
今回は惜しくも20代で引退及び勇退した甲子園球児を焦点に当てて紹介したい。
2010年代で甲子園で活躍した右腕も引退
聖光学院の歳内宏明投手
まず2010年代で活躍した投手が引退となった。まず聖光学院の歳内宏明投手は10年夏、11年夏に出場。10年夏は広島広陵、履正社に勝利を収め、11年夏は19イニングで30奪三振の圧巻の投球を見せてくれた。阪神入団後はリリーフとして活躍。その後、四国アイランドリーグplusの香川OGでプレーし、圧巻の投球成績を収め、ヤクルトに復帰し、1勝を記録。今年限りで現役引退となった。
そして飯塚悟史投手も引退を決めている。13年夏の甲子園を経験すると、14年春夏はエースとして甲子園出場。速球投手でゴリ押ししていた2年生の時とは違って、制球力重視の投球で甲子園ベスト4に導く投球は見事だった。横浜DeNAでは通算2勝。合同トライアウトでの投球が現役最後の投球となった。
常葉菊川出身の桒原樹選手も現役引退となった。2013年センバツで特大本塁打を放って話題となったが、広島では通算3試合出場にとどまり引退を表明。常葉菊川時代の恩師・森下監督(現御殿場西監督)に報告するなど、第二の人生へ向けてスタートを切っている。2007年夏に甲子園出場した中井大介選手(宇治山田商出身)も現役引退。
中井は07年夏、二刀流として活躍し、巨人、DeNAでは野手として活躍を見せた。楽天の下妻 貴寛捕手(酒田南)も現役引退。12年夏の甲子園では選手宣誓を務め、楽天入り後、20年にはプロ初本塁打を記録した。引退後は球団に残り、ブルペン捕手となる。
[page_break:甲子園で活躍した人気投手も引退]甲子園で活躍した人気投手も引退
U-18代表でも奮闘した上野翔太郎投手
社会人野球では多くの選手が引退している。
まず代表的なのが中京大中京出身の上野翔太郎投手も引退となった。2015年夏にはエースとしてベスト16入りに貢献。U-18代表入りし、日本開催となったワールドカップでは防御率0.00の快投で、最優秀防御率を受賞した。駒澤大、三菱重工eastを経て今年限りで勇退となった。
上野について故障もあり、本来の持ち味を発揮できずに終わってしまったのが残念でならない。とはいえ、名門を歩み、他の人にはない経験をした。もし指導者になることがあれば、その経験を生かして活躍をしてほしい。
常葉菊川時代、守備職人として活躍した遠藤康平選手(SUBARU)も引退。明徳義塾の左腕エースとして、2011年春、夏の甲子園に出場した尾松義生(三菱重工west)投手も引退。拓殖大でもエースとして活躍。前身の三菱重工神戸から都市対抗など大舞台を経験し、結果を残してきた。
ENEOSの嘉門佑介捕手も勇退となった。敦賀気比時代、日本ハム、西武で活躍する平沼翔太選手とバッテリーを組み、2015年センバツでは、力投する平沼投手を懸命に支え、優勝に貢献した。横浜商科大で主将を務め、ENEOSで2年間プレーしたが、勇退が決まった。
2013年センバツ優勝の浦和学院の主砲として活躍した髙田涼太選手も引退。センバツでは3試合連続本塁打。立教大時代のインタビューでは、ともに活躍した山根佑太選手とともに浦和学院時代のことを語ってくれたことを覚えている。
同じ浦和学院出身では諏訪賢吉選手も勇退。15年センバツではリードオフマンとしてベスト4入りに貢献。東洋大では副将を務めたが、日本通運ではわずか1年で勇退を決めている。
そして2013年夏、日大三のエースとして活躍した大場遼太郎投手(ENEOS)も勇退となった。筑波大ではエース、ENEOSでも重要な試合でも任されてきた投手だった。大阪桐蔭出身の中村誠選手も現役引退。2014年夏、巨人・香月一也選手、JFE東日本で活躍する峯本匠選手とともに日本一を経験。日体大、かずさマジックと歩んできた。今年の都市対抗にも出場し、現役を終えた。
2010年、関東一の主将として甲子園を経験した本間諒選手も引退となった。立正大では二部リーグでMVP、そしてセガサミーでは中心選手として活躍を収めた。そしてHonda鈴鹿に進んだ内山竣も2年で勇退。静岡時代は15年センバツ、夏の甲子園を経験した左の強打者だ。
こうしてみると、社会人野球も結果を残せなければ、早々と勇退のケースもあり、また、会社野球部の編成事情で、それなりの実績を残しても、勇退というケースもある。
NPBにしても、社会人野球にしても、硬式野球の第一線でプレーする難しさを実感する。それでも、他の野球人には濃密な経験をした選手も多いだけに、ぜひその経験を還元してほしいと願っている。
(文=河嶋宗一)