昨夏の悔しさ糧に大躍進!主体性を持たせて磨き上げた一体感と責任感 熊本西【前編】
春のセンバツに21世枠で出場する、県立熊本西高校。いわゆる強豪私立のような野球推薦は無く、部員は全員が軟式出身で硬式野球は高校に入学してから。地元の中学から普通に進学してきた部員ばかりで、全員が自転車で通学をしている。また、農地に囲まれている立地のため、ナイター設備は作物に影響を及ぼすため付けられない。
そんな一般入試を経て入学した「普通の高校生」たちが、秋季九州大会でベスト8と快進撃。見事に甲子園の切符を手繰り寄せた。今年の躍進の裏には何があったのか。話を聞きに行った。
チームワークなら負けていない!
熊本西野球部の選手たち
熊本市の中心部から車で西に20分ほど。県庁所在地を思わせる都市部の喧騒を離れ、のどかな田園風景が広がる中に熊本西高校はある。開校は昭和50年(1975年)。昭和60年(1985年)には夏の甲子園に出場し、1回戦で磐城(福島)に7対3で勝利している(2回戦で群馬代表の東農大二に1対9で敗戦)。
だが、当時も今も野球強豪校といったわけではなく、いわゆる普通の県立高校。近年の夏の熊本大会は2年続けて初戦で負けており、昨秋の快進撃を予想できた人は少なかったはずだ。野球部を率いる横手文彦監督も「センバツに出るチームの中で、うちは最下位の実力」と冷静に分析をしている。
エースの霜上幸太郎主将も「実力は無いかもしれません。でも、チームワークには自信がある。甲子園は、想像するのも難しい大舞台ですが、全国の強豪と同じ舞台で戦えることだけで楽しみです」と熱を込める。
横手監督は就任4年目(部長1年、監督3年)。熊本の名門・済々黌高校から西南学院大学(福岡)と歩み、投手として活躍した。その後高校教諭として熊本県に戻り、指導者の道をスタート。阿蘇高校、天草東高校、宇土高校と歴任し、熊本西高校は4校目になる。
自分たちで課題を見つけて一歩ずつ前進する
バッティング練習をする霜上幸太郎(熊本西)
どの学校も、いわゆる強豪校ではない普通高校。もちろん甲子園で指揮を執るのは初となる。「私自身も30年以上にわたり夢見た甲子園の舞台。努力して、挑戦し続ければ、叶うことがわかった」と振り返る。
今回の躍進について。横手監督は「練習や試合で結果が出なくても、選手たち自身が主導して課題点を見つけて話し合えるチームでした。自分たちで、なんとか一歩ずつ成長しようという姿勢があった」と説明する。
夏の大会を終えて始動した新チーム。部員は選手が40人でマネージャーが5人だ。主将に任命された霜上選手は「夏は1回戦で負けてしまった。先輩たちの悔しさのぶんまで頑張ろう」と、決意を表明。捕手として夏は出場していたが、新チームでは投手に専念することになった。横手監督も「自分たちは弱い。今の実力を受け入れて、少しづつ強くなっていこう」と話している。
横手監督は「部室管理班」や「活気向上班」など13班を作り、部員全員に役割を持たせた。「他人事から、自分事へ。選手たち全員に主体性を持たせ、部の運営そのものに関わることで、控えの選手や下級生にまで一体感と責任感が芽生えた」と話す。わざとエラーをして、ミスをカバーする練習も導入。「野球は失敗するスポーツ。人間だから、ミスは当たり前なんです。その失敗をいかにチームとしてカバーできるかが大事」と説明する。
前編はここまで。後編では秋季大会のことを振り返ってもらいつつ、センバツへの意気込みを伺いました。後編もお楽しみに!
(取材・いとうりょう)