斎藤 佑樹投手(早稲田実業-北海道日本ハムファイターズ)【後編】「斎藤 佑樹を完成させた甲子園、そしてプロ」
前編では、ライバル日大三と、斎藤佑樹投手とのエピソードを語ってくださった早稲田実業・和泉監督。後編では、斎藤佑樹投手と甲子園のお話、そして今後に向けたエールを語っていただきました。
大阪桐蔭戦が斎藤を覚醒させるきっかけに
早稲田実業時代の斎藤 佑樹投手
甲子園入りした早稲田実業。初戦の相手は、鶴崎工だった。斎藤は9回3失点(リリーフが登板したが、1人も打者を打ち取れなかったので実質完投)。和泉 実監督の目から見て、この時の斎藤は本調子ではなかった。それは西東京大会決勝(7月30日)から日が空いてなかった開幕日(8月6日)での試合だったというのもある。
「この時、西東京大会決勝から1週間ぐらいしかたっていなかったので、疲労が残っているというのもありましたね。そこから次の日までの1週間はしっかりと休養や治療をさせました」
初戦の投球を見ただけでは、伝説を残す投手になるとは想像できなかっただろう。斎藤が凄味を見せるのは2回戦の大阪桐蔭戦だった。試合前の予想では、1回戦で選抜優勝の横浜に圧勝した大阪桐蔭が有利と見られており、和泉監督もそういう雰囲気は感じていた。
「当日、試合の雰囲気は大阪桐蔭の勝利を期待しているという雰囲気でした。また主砲・中田翔君(関連記事)が斎藤からホームランを打つんじゃないか。そんな期待が感じられましたね」
しかし試合は周囲の予想を大きく覆し、斎藤は強力な大阪桐蔭打線をわずか2失点に抑え、12奪三振の快投。注目となった中田との対決では、4打数0安打、3三振に抑え込み、そして打線も大阪桐蔭投手陣を攻略し、11得点を奪って快勝した。試合を振り返って和泉監督は、
「うちの打線が11得点をあげるのは想像できなかったですが、斎藤が本調子ならば、抑える自信はありましたよ。超強力打線の日大三が、1年かけて打倒・斎藤を掲げて研究をしたのに、打てなかった。初対戦となれば打たれない自信はありました。またしっかりと休養を取った事で、初戦に比べて良くなっていたのもありましたね」
こうして大阪桐蔭を倒したことで、高校野球ファンは斎藤に目を向け始め、注目度も上がった。斎藤は引き続き快投を続け、3回戦の福井商戦でも1失点完投勝利、準々決勝の日大山形戦では10奪三振、2失点完投勝利。準決勝の鹿児島工戦では13奪三振完封勝利を挙げて、ついに決勝進出を果たす。和泉監督は、準決勝から理想的な投球ができるようになっていたと分析する。
甲子園に入って体も、精神的にも成長をしていた
早稲田実業時代の斎藤 佑樹投手
「まだ準々決勝まで甘いボールがあったり、甘いボールが集中するイニングがありました。しかし準決勝ではまさにパーフェクトといってもいいぐらい彼の意図通りに投げることができていた。課題であったメンタルコントロールもできるようになっていました。斎藤は投げていて楽しかったのではないでしょうか」
また投球面だけではなく、肉体的な成長を感じ取っていた。斎藤の身体が、甲子園入りした時と比べて大きくなっていたのだ。
「斎藤には『お前、身体が大きくなっているな!』と声をかけたんですよね。斎藤自身もユニフォームがきつくなっていて、と言っていたのが記憶にあります。甲子園で連戦を重ねると、疲労がたまっていくものですが、あの時、練習時間が短かったということ、ホテルで三食とも栄養満点の食事にありつけたこと。そして休養、治療をしっかりと取ることで、身体の状態は良くなっていたんです。また故障しなかったのは、フォームが良かったというのもありましたね。あの時のフォームは本当に良かった」
そして決勝戦は、明治神宮大会で敗れた駒大苫小牧だった。駒大苫小牧は夏3連覇を目指して粘り強い戦いを見せてきた。決勝戦では、斎藤は延長15回まで投げ切り16奪三振1失点の快投。対するエースの田中も、12.2回を投げ、10奪三振。1失点に抑え、延長再試合が実現した。
2人の投げ合いを見て和泉監督は、
「斎藤は準決勝に引き続き、非常に良かったです。勢いに乗っている投球でした。田中君は神宮大会と比べると調子が悪く、大会を通しても、かなり調子が悪いように見えました。それでも彼の経験値の高さで抑え込むところに、田中君の凄味と底力を感じました」
と、両投手の投球を称えた。そして迎えた再試合でも、再び斎藤が先発のマウンドに登った。この決断について和泉監督は、「投げる投手がいなかった」と苦笑いをしながら振り返る。
「本当に投げられる投手がいなかった。決勝戦後、斎藤と話をして、体調の状態をしっかりと確認して、再試合の翌日に先発をさせることを斎藤に告げました」
また和泉監督は、斎藤だけではなく、野手陣の体調管理にも気を配った。再試合になると、投手の状態が気になってしまうものだが、もちろん野手も肉体的疲労、精神的疲労も溜まる。早稲田実業は選抜で再試合を経験している。準々決勝で横浜に敗れたのは再試合の影響があった。
「あの時、私も斎藤の状態を気にしていました。しかし野手陣も疲れていたんです。実際、横浜戦はエラーが多く、大量失点につながりましたね」
その経験があったので、夏は決勝戦終了後、和泉監督はMTGも一切行わず、選手たちの疲労回復に努めたのだ。それがすべてではないと和泉監督は語るが、決勝戦再試合では、1点を争う好勝負を見せる。
1回表、斎藤が無失点で切り抜けると早稲田実業打線は1回裏、2回裏に1点ずつ得点。6回表に1点を返されたが、直後の6回裏、そして7回裏に1点ずつ追加点をあげ、4対1とリード。斎藤は9回表、本塁打を許し1点差に迫られたが、最後、田中を三振に打ち取り試合終了。決勝戦の再試合でも斎藤は13奪三振の快投を見せ、見事に優勝、伝説の男となったのだ。懸念されていた野手たちも無失策の守備を見せ、斎藤を盛り立てたのであった。
この優勝を振り返って和泉監督は、「あの代は様々な経験を積んで、自ら全国レベルをイメージして取り組める世代でした。だから何かを掴んだ時の成長には爆発的なものがありました。あれを見て、我々が余計なことを教えていないか、余計なことを選手たちに伝えていないかと、常に感じるようになりましたね」
斎藤は最初から素晴らしい実績を残したわけではない。2年夏には日大三に打ち込まれ、2年秋の明治神宮大会では駒大苫小牧と対戦して打ち込まれるなど、苦い経験を味わってきた。どうすれば勝てる投手になれるのか、自分で考え、実力を伸ばしてきた。それが全国制覇という最高の形となって現れたのだ。早稲田実業は選手の自主性が強いチームだが、その色が濃くなったきっかけに2006年の優勝があったことは間違いない。
野球人として成長している実感したエピソード
斎藤 佑樹投手(北海道日本ハムファイターズ)
あれから10年。斎藤は北海道日本ハムファイターズに在籍し、ここまでプロ入り6年間で66試合に登板し、14勝20敗。2006年夏の活躍のインパクトがあるため、苦しんでいるように感じるだろう。だが和泉監督は、野球人として成長しているエピソードを明かしてくれた。
「彼がプロ入り2年目に、右肩関節唇損傷のケガをしたときですね。彼にとって初めて投げられない期間で、とてもつらい経験だったと思います。ただその分、身体に対する知識をかなり身に付けていました。どの筋肉がどんな役割を果たしているのか、またその筋肉のつけ方などをしっかりと自分の言葉で説明できるんです。私に話をする姿は大学教授のようでしたね。彼なりに勉強をして、自分で咀嚼をして、説明できるようになったのでしょう。その姿を見て、高校生の時とは比べて野球人として本当に成長したと思います」
と教え子の成長に目を細める和泉監督。今後についての一言を頂くと、
「プロの舞台は、知識を身に付けたからといって、活躍できるとは限らない厳しい世界です。それでも私は一ファンとして応援していますし、また引退をしてからも長い。野球選手が終わって第二の人生が始まってもずっと応援し続けますよ」
斎藤の雄姿を知る野球ファンからすれば、このままでは終わってほしくないという思いは強いだろう。だが和泉監督の話を聞いて、斎藤は悔しさを糧にできる芯の強い男であることが分かった。
再び野球ファンの前にインパクトを与えるピッチングを見せてくれることに期待したい。
(取材・構成=河嶋 宗一)
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