島田商vs浜松大平台
辛抱の試合は、9回に島田商が決着付ける
かつての浜松農業経営と浜松城南が統合して、12年前に新校として誕生した浜松大平台。一方、島田商はかつて1934(昭和9)年に初出場を果たして、戦前だけで4回の甲子園出場実績があり、準優勝も記録している伝統校だ。その後久しく低迷期もあったが、1998(平成10)年春に復活出場を果たして関係者やオールドファンを喜ばせた。そんな伝統校だが、商業校下での野球部活動が厳しくなってきたと言われている現実の中で、チーム力を維持し続けている姿勢は立派だ。
この試合、島田商は初回は二死一二塁から5番西村の中前打で先制。さらに、4回にも無死一三塁から重盗の送球ミスと、スクイズで加点して3対0とリード。
しかしその裏、浜松大平台は4番鈴木快斗の中前タイムリーで1点を返し、なおも二死一三塁という場面で6番の佐藤仁が右越三塁打して2者を帰して同点となる。ここまで、打たれながらも何とか凌いできた佐藤仁が自信のバットで同点に追いつけたことで、試合展開はここからがらりと変わった感じとなった。また、島田商の池田新之介監督は奈良間佳祐を投入。しかし、調子があまりよくないと見るや、すぐさま3人目として、エース番号を担っている小林史弥を投入した。このあたりの早いタイミングの切り替えは見事だった。
そして5回以降はお互いに0が続く展開となって、試合そのものもやや膠着状態となった。浜松大平台の佐藤仁は走者を出しながらも、粘り強くここというところで、相手打者に打たせない工夫の投球。この大会まだ無失点だという島田商の小林は6回、7回は3人でピシャリと抑えるなど、スキッとした球のキレ味で「そう簡単には打たせないぞ!」という気持ちが前面に出ていたようだ。
こうして、場合によっては延長戦もあるぞという雰囲気になってきた9回、島田商は二死走者なしから死球と7番斎藤朝陽の右前打で好走塁もあって二三塁として、8番に入っている投手の小林だ。気持ちも充実していた小林は、狙いすましたようにインコースやや詰まり気味ながらも思い切りよくスイングして打球は左前に落ちて2者が帰った。
そして、その裏も先頭には二塁打されたものの、後続は気持ちの乗った投球でピシャリと抑えていった。こうして島田商は小林の投打の活躍がチームをベスト8に導いた。