目次

[1]アベレージヒッターだった高校時代
[2]ひと冬こえて飛距離アップ
[3]頭を使ってプレーすることの重要性を感じた


 6月の全日本大学野球選手権で初の全国制覇を成し遂げた上武大学で不動のトップバッターを任されている大谷 昇吾選手(3年)。選手権では打率3割6分8厘をマークしてチームを牽引したが、関甲新学生野球リーグではホームランを春5本、秋もここまで2本と、身長は172cmながら長打力も兼備する。樟南高校時代は通算9本だった大谷選手がホームランを量産できるようになった理由を聞いた。

アベレージヒッターだった高校時代

――高校時代は決してホームランバッターというわけではなかったんですよね。

大谷 昇吾(以下「大谷」) 全然です。どちらかといえばアベレージヒッターで、公式戦でのホームランも1本だけ。ホームランを狙うこともなかったですし、いつも出塁することを考えていました。イチローさんのようにヒットをたくさん打って、走ってというのを目指していましたね。体の線も細くて、ホームランは頭にまったくありませんでした。

――では、大学に入ってホームランを意識するようになったわけですか。

大谷 いえ、そういう考えはなかったですし、それ以前にまず木製バットに苦労しました。まったく打球が飛ばなかったですし、バットの芯にも当たらない。1年生の春から試合に出させてもらいましたが、小さく構えて、ただ当てるだけというバッティングでした。怪我もあったりしましたが、打ち方をいろいろと模索しながら、少しずつ対応できるようになったのは夏くらいです。それでもそんなにバットを強く振れませんでしたし、長打は出なかったですね。単打ばかりでした。

上武大学 大谷昇吾選手(樟南出身)

――それでも着実に力をつけていき、2年の春に2本塁打、秋にも1本アーチを架けた。

大谷 2年生秋までの3本のホームランは勢いというか、本当にたまたま入ったという感覚でした。手応えというか、このコースならホームランが打てると思えるようになったのは3年生の春からです。

――何が変わったのでしょうか。

大谷 1番大きかったのは体重を増やしたことです。入学したときは65㎏とか、66㎏くらいで、監督さんからも2年生の春ごろから増やすように言われていたんです。でも、もともと食が太い方ではなくて、なかなか増やせませんでした。秋のリーグが終わった時点で68㎏くらい。プロでやろうと思えば体も大事ですから、冬に体を大きくしようと決意して、とにかく食べる量を増やしました。朝と昼はそれまで通りですが、昼と夕食の間におにぎりやパンを間食として食べて、夕食はご飯を漫画に出てくるような感じで山盛り。その後のトレーニングを終えたら夜食を食べる。そんな感じです。

――「食」のトレーニングですね。

大谷 かなり自分を追い込んだのでつらかったです。食べたら体重を測定して、足りないと思えばもう少し追加して食べたり。でも、そのおかげで今は73、74㎏くらいになりました。もちろん、ただ食べていただけでなく、ウェイトトレーニングを行ったり、バットを振り込んだりもしました。スイングは普通のバットとマスコットバットを交互に振ったり、1日500くらい振りました。