独占インタビュー 第46回  【特別企画】 高校スポーツのあした(8) 2010年05月30日

15.指導者としての自分を育てたもの

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【国分先生】

「国分」 最後に私がどうしても聞きたいことがあるんです。よく、佐々木洋先生にしても、佐藤久夫先生にしても、自分たちのチームがいい結果を出すと、マスコミのインタビューでは、「選手がよく頑張ってくれた」とか、「選手の活躍のお陰でこういう結果が残せた」と、「選手が立派だ」と、こういう風に言うけども、それはそれで素晴らしいんだけども、私はどう見ても、組織っていうのは、指導者で80%は決まると。つまり、いい結果を残した指導者はそういう風に言うけども、やっぱり、私はその指導者が素晴らしかった。それから、そういう活躍を選手たちがしてくれるのは、あなたが指導者だからだと、私はそう思うんです。そういう風な、佐藤久夫監督を育てたものは何なんですか?どうやって先生は自分を育ててきたんですか?指導者として。

「佐藤」 若い時にね、私はバスケットボールの愛好会しかないところからスタートした。一緒に入ったバスケットの、その大学は違うけれども、人たちはもう最初からいい所に入れた人もいるわけですよ。で、いつかは逆転したいなと。それこそ逆転現象(笑い)いつか逆転したいと。それで、いつかは全国の舞台に立ちたいと。で、誰でもが思うんでしょうけど、私は女子を、男子じゃなくて女子のバスケットボールを10年やったんです。

「国分」 仙台高校でですか?

「佐藤」 いや、別な学校で。

「国分」 あ、別な学校で。はい、はい。

「佐藤」 その時に、諦めなかったこと。それはあの、バスケットをやっていた子どもたちじゃなくて、全く素人の子どもたちで10年やった。それで、諦めないでそれを続けることができて、なんかこう、爆発するパワーを身につけていたというか。

「国分」 なぜ、先生、途中で話をぶった切って申し訳ないけど、その時自分は10年間、だいたい普通の指導者はそこで諦めるっていったらおかしいんだけど、でしょ?先生、なんで、その時諦めなかったと思うんですか?

「佐藤」 やはり、1つのライバルというか、同じ学校の先生で、同期とかね、上がいますしね、あの人たちをなんとか追い越したい、追いついて追い抜きたいというようなこと。それがまず絶対ですね。それから、諦めないでっていうより、選手たちにね。あんたはすごく厳しくてね、私はもう辞めたいです、辞めたいですってそういう、女子の時代だったわけですよ。でも、その生徒たちが卒業すると必ずね、顔を出してくれては、「先生、私たちと同じようにやって」と言ってくるわけさ。それがね、あぁ、俺がやっていたことっちゅうのは、間違いじゃねぇかなと思いながらやっていたけど、こうやって卒業してから、「先生、本当は先生のやっていることはとっても良かったのよ」と言ってくれることによって、その、励みになったっていうかね。で、女子っていうのは、基本をちゃんと教えないと、動いてくれないじゃないですか。違いますか?

「国分」 なるほど、はい(笑い)そうですね。

「佐藤」 だから、その基本を当たり前に細かく教えるってことが10年間で身につけたことなんですよね。で、男子を持った時には、あぁ、これは楽なもんだと。1教えた時に2動いてくれていると。2つ目はやってくれているってそういう世界だったんで、その10年間が私のバスケットボール人生の土台を作ってくれたかなと。

「国分」 その高校は東北地方の高校だったんですか?それとも関東?

「佐藤」 いや、宮城県の。21世紀枠でいった一迫商業あるでしょ?

「国分」 はい、はい。

「佐々木」 へぇ。

「佐藤」 あそこの熊谷っていうのは、高校の後輩だから。

「佐々木」 そうなんですね。

「佐藤」 一迫商業の後、亘理高校ってね、これは農業高校なのね、そっちの方で8年。

「国分」 足して10年。

「佐藤」 足して10年。

「国分」 そこで女子を教えていたんですか。

「佐藤」 はい。

「国分」 なるほどね。

「佐藤」 女子からスタートした人たちが、バスケット界では、強くしているんです。これ不思議なんですよ、先生。先生、男子バレーやったら?(笑い)

「国分」 いや(笑い)なるほど、そうなんですか。へぇ。

「佐藤」 そして、私もね、選手と共に戦っているから。私のやり方は、選手はコートで戦う、私はベンチで戦っているんだから(笑い)これは選手に感謝もするけど、やっぱりね、どこに行って講演するにも、クリニックするにもね、選手のせいではないと。指導者ありきなんだっていうことを絶対、私は言うんですよ。指導者が、その当時出会った選手たちを良くするも悪くする。あなたたち先生方次第ですよと。