東都三部でも注目度が高い強肩捕手・白石翔樹(東農大)。ソフトボール時代から培った強打は魅力的
今年の大学生は中央球界、地方球界問わず人材が豊富である。今年、東都三部にプロを狙う逸材捕手がいる。それが東農大の白石 翔樹だ。
高校通算20本塁打を武器に注目された白石は大村工時代は3年春に九州大会出場。3年夏も決勝進出するなど、長崎県屈指の強打の捕手として注目された。東農大入学後も1年から活躍し、3年まで通算58安打をマークし、捕手としてスローイングタイム1.8秒~1.9秒台の強肩を誇る。
今年は三部でプロを目指す白石の歩みを振り返る。
ホームランを打つことを重視する大村工にもまれて
白石翔樹(東農大)
長崎県出身の選手にインタビューすると、多くの選手がソフトボールを経験しているが、白石もその1人だ。対馬出身の白石は小学校時代、野球ではなく、ソフトボールをプレー。全国制覇も経験。ソフトボールで学んだこととして、タイミングのとり方やボールの合わせ方だという。
「基本的にストレートとチェンジアップの2球種しかないのですが、タイミングの合わせ方は勉強になりましたし、ボールの軌道を合わせてラインを入れることを意識してスイングをしていたので、そこは野球に生きた感じです」
中学校では野球部がなかったので、普段はソフトテニス部に所属しながら土日は軟式野球クラブでプレーした。
そして対馬を出て、大村工でプレーする。大村工の高比良監督は打撃に注力する指導者で、「打ち勝つ野球。1番から9番までホームランを求める方でした。そういう中で打撃面は大きくレベルアップしたと思います」
3年春には九州大会に出場。濱地 真澄(阪神)擁する福岡大大濠と対戦するなど、貴重な経験を積んだ。最後の夏は4割近くの打率を残すも決勝戦で敗退。ただ長崎県屈指の強肩強打の捕手としてアピールした。
「夏に調子が良かったのもありますが、自分は捕手をやっていて、この夏の大会に限っては配球の読みもあたって結果を残すことができました」
この活躍に長崎県のライバル高の指導者も評価。東農大進学のきっかけは創成館の稙田監督からのすすめだった。
「稙田監督は非常に顔が広い方で、僕の中で野球観が非常に優れた方のイメージがあります。学校としてはライバルにあたる監督さんから認められた形で大学へ勧めたのは素直に嬉しかったです」と振り返る。
最後までアピールを続ける
白石翔樹(東農大)
東都二部・東農大に入学し、1年春から出場機会を与えられたが、東都二部の投手のレベルの高さに驚かされた。
「ストレートのスピード、キレ、コントロールが段違いでしたし、変化球のキレもすごかったです。僕たちの代の長崎では140キロを超える速球投手がほとんどいなかったのと、さらに当時、二部では動画配信がありましたし、研究をされて苦手なコースもどんどんついていかれますし、対応は本当に苦労しました」
また木製バットの対応に苦労した。
「やはり金属バットは多少芯から外しても、飛ばすことができるのですが、木製バットは芯が狭いので、芯で捉えることに苦労しましたし、高校の打撃の意識ではなかなかうまくいかないことを痛感しました」
右手の押し込みをうまくいかなかった。
「自分にとって右手の押し込みは、捉えるまでの役割だと思っていたのですが、木製バットになってからは捉えてからの最後の押し込みも重要かなと思いました。今でもできているかわかりませんが、それぐらい自分の中では右手の押し込みが大事だなと思いました」
二部では打率2割台だったが、それほど3年生まで58安打。強打の捕手として評判だった。3年秋に最下位に終わり、そして入れ替え戦でも大正大に敗れ、三部落ちが決定した。
「2試合とも先制され、先制されると、相手の勢いに乗りますので、自分たちのペースが試合ができずに終わりました。とにかく今の現実だと受け止めました」
入れ替え戦後、チーム内でミーティングを行い、これまでチームに甘さが見られれば、どんどん指摘しあう雰囲気を作り、公式戦を想定して練習を行った。
まず三部で大暴れをして、入れ替え戦に挑戦して、秋から二部でプレーして挑戦しようという意気込みだったが、新型コロナウイルスで春のリーグ戦は中止。全くアピールはできず、構想は完全に狂った。それでも白石はプロ1本に絞り、三部リーグに臨んだ。まず10月3日の成蹊大戦で初本塁打を含む5打数2安打1打点の活躍。続く4日の試合でも4打数2安打2打点、11日の試合でも4打数3安打と、13打数7安打3打点と格の違いを見せている。
白石はプロでプレーすることを信じ、アピールするのみだ。
取材=河嶋 宗一