連載「世界の野球のともだち」を通じて、世界中で野球をやっている学生たちが、お互いの国の野球のことや、上達するためのヒントを学び合う場になれればうれしく思います。また、野球の旅の中で出会った世界にちなんだプレーヤーやチームを多言語の記事にて、紹介していきます。
旅では、偶然の出会いが多いので、様々な事情により写真やコメントが少ないことがありますが、ご了承ください。また、「この場所に行ったことがある!」という思い出をお持ちの方のコメントや、現地の写真投稿もお待ちしています。
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台湾のプロ野球選手・王柏融 (ワン・ボーロン/Wang Po-Jung)選手を紹介!
台湾のプロ野球リーグ(CPBL)のファンからは“大王”と呼ばれ親しまれている王柏融 (ワン・ボーロン)選手。2017年には、台湾人選手としては初となるCPBL三冠王に輝きました。プロ入り後は、WBSCプレミア12やWBCの台湾代表選手として3度出場するなど、強打者として活躍中の王柏融(ワン・ボーロン)選手ですが、なんと高校時代は本塁打数は0本だったそうです。今回はそんな王柏融(ワン・ボーロン)選手を紹介します。
目次
1・王柏融選手の出身地を紹介&インタビュー
2・高校時代はホームラン数0本でも、プロで活躍するまでのお話
1・王柏融選手の出身地を紹介&インタビュー
王柏融選手は台湾の出身です。アジア地域にある台湾は、赤い丸がついている場所にあります。
王柏融 (ワン・ボーロン)選手のふるさとは、台湾の最も南に位置する屏東(ピンドン)県の万丹郷(ワンダンキョウ)という場所です。こうやって見ると、本当に国の一番南に位置していますね。
万丹郷は、「あずき」の産地としても有名です。暖かい気候なので、果物は、パイナップルやパパイヤ、バナナなども育ちます。泥火山があって、よく泥が噴出し、農作物に被害があったり、地元の人を困らせることもあります。写真は、万丹郷の夜市の様子です。どんな夕飯が屋台で食べられるのでしょうか。
(写真撮影:“景色は乗った後に”様 HPご紹介:httpsjougokei.web.fc2.com)
王柏融選手の通っていた高校は、この町から電車で4時間ほど離れた場所にある台北市郊外の新北市の野球強豪校でした。高校時代は、寮生活を送っていました。新北市には、新北市立新莊棒球場(野球場)もあります。街はとても栄えています。
王柏融 (ワン・ボーロン)選手に高校時代のことを聞いてみました。
Q.高校時代は平日はどのくらい練習をしていましたか?
「授業を昼までやって、ご飯を食べて、午後2時から午後7時くらいまで練習をします。そのあと、寮に戻ってから、また練習をしていました」
Q勉強との両立はできましたか?
「できるだけ(笑)勉強できるのは朝の時間しかないので、午前中だけ勉強していました」
Q高校時代、野球の上達のために参考にしていたものはありますか?
「当時は、まだインターネットも今ほど普及していなかったので、テレビで野球をみて、プロ野球選手の真似をしていました。メジャーリーグを見ていて、台湾出身の王建民投手がニューヨーク・ヤンキースでプレーしていたので、その時に、イチロー選手のプレーも参考にしたりしていました」
Q世界中の中学生や高校生のプレーヤーにメッセージをお願いします。
「学生の皆さん、野球を楽しみ、恐れることなく、自信を持ってグラウンドで自分の能力を発揮してほしいと思います。フィールドでは、挑戦する勇気を持ち、失敗を恐れないことが必要です。失敗からも多くのことを学ぶことができます。これからも頑張ってください!」
2:高校時代はホームラン数0本でも、プロで活躍するまでのお話
王柏融(ワン・ボーロン)選手の出身校は、台湾の強豪校・穀保高級家事商業職業学校です。最近、話題の卒業生には、MLBのシンシナティ・レッズが契約した二刀流の林盛恩(リン・シェンエン/Sheng-En Lin)選手などがいます。
今でこそ台湾代表として活躍する王柏融(ワン・ボーロン)選手ですが、高校時代は18U代表もほど遠く、一時は野球をあきらめかけたこともあったといいます。
しかし、大学入学後から一気にバッティングの才能が開花しました。
「高校でもう野球をあきらめようかと思っていましたが、やっぱり野球が好きだったので、大学入学後は、筋力トレーニングも練習もたくさんしました。今でもそうですが、調子がいい時も、悪い時もたくさん練習をして、自分に足りないことを強化していきました。そして、その練習が自信にもつながりました」
トレーニングの成果で身体もより大きくなり、強打者として成長した王柏融(ワン・ボーロン)選手は、大学4年時に初めて21Uの台湾代表選手に選ばれました。この大会(第1回21U野球ワールドカップ)では、王柏融 (ワン・ボーロン)選手は4番打者として出場し、台湾チームの“大会初優勝”に貢献したのでした。
そして、翌年の台湾のドラフト会議では、Lamigoモンキーズから1巡目指名を受け、子どもの頃からの夢をかなえ、台湾のプロ野球選手となりました。
「高校時代の自分には、あの時、野球をあきらめなくて、本当にありがとうと言いたいです。家族からも自由に野球をやらせてもらえたので、本当に感謝しています」
その後の活躍は輝かしく、台湾のプロ野球(CPBL)で4年間プレーしたのち、2019年からは5年間、日本のプロ野球リーグ(NPB)にも挑戦しました。
「日本のプロ野球は、台湾からみても憧れの場所でした。日本の野球は、とても細かいので学ぶことも多かったです」
そう振り返る王柏融 (ワン・ボーロン)選手は、2024年からは、また台湾のプロ野球(CPBL)に戻り、台鋼ホークスの主軸としてチームを牽引しています。
王柏融(ワン・ボーロン)選手、ありがとうございました。これからも、がんばってください!
<プロフィール>
王柏融(ワン・ボーロン/Wang Po-Jung)
ポジション:内野手・外野手
投打:右投左打
生年月日:1993年9月9日
身長/体重:182cm 91kg
出身国:台湾
出身県:屏東県万丹郷
経歴:屏東縣鶴聲國中青少棒隊-穀保高級家事商業職業学校-中国文化大学-Lamigoモンキーズ(CPBL)-北海道日本ハムファイターズ(NPB)ー台鋼ホークス(CPBL)